不易と流行
長岡 亮介
(数学者,数学教育者,特定非営利活動法人 TECUM 理事長)
数学は,数千年に及ぶ歴史を持つものの,近代以降大学制度の普及の結果,その研究と教育を職業とする専門家 professor が数多く誕生し,その業績が大量配布できる体制が確立したことを通じて大きく進歩した,と見る点では,ほかの諸科学と同様である.数学が,ほかと比べ一際目立つのは,次世代の教育において「最先端への導き」を基本にしていないことであろう.
いまから数十年前のことであるが,悪口の絶えないほど保守的な数学教育を一気に現代化しようとする運動が特に USA で盛んになりNew Mathがキャッチコピーになった.これが数学者,数学教育関係者を巻き込んで数学戦争と揶揄されるほどの盛り上がりを見せ,連邦政府教育省長官が調停に乗り出すほどの事態にまで発展したものの,結論からいえば,計算に象徴される数学の基礎学力(正確には数千年前からの計算リテラシー)の教育に失敗している現状に対する世間の批判に応えられない USA の学校教育の実力が露わになって戦争中止(厭戦・休戦)になった.
数学者が,数の計算といった最古の数学的文化の世代間継承を,最近の研究の華々しい展開や抽象化という現代的話題の教育以上に重視していたことは,数学外の人には意外に受け取られた面もあろう.
数学は,常に最新の動きに敏感であるという意味で流行を大切にするが,その教育に関しては,実はきわめて保守的で,基盤的基礎があれば先端的な応用はすぐに開かれると楽観している面がある.俳諧に似て,常に新しさを求めるものの,大切な基本は決して変わらないという思想が暗黙にある.
情報科学は,流行に関しては数学よりもに遥かに華やかに映る.しかし情報処理の基本が arithmetic に似た計算的処理であるならば,その基礎を教える教育は,頑迷固陋といわれるくらい不易の学理を大切にしてもよいのではないだろうか.AI の実用的応用が素人目に華やかに映る現代こそ,表層の流行の下にある不易の原理に注目させたい.
(本文を公開するにあたり題名の英訳が求められたので, "Fueki" and "Ryukou"とさせていただいた.このコラムの趣旨を最も適切に翻訳する英語表現がないと判断したためである.お許しください.)
(「情報処理」2024年11月号掲載)