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人生はゲームだ(前編)


松原 仁(東京大学次世代知能科学研究センター)

 1970年代後半に最初に書いたプログラムは将棋だった.プログラミングを自習し始めたばかりの学生にとって将棋はむずかしすぎてまともに動くものはできなかった(ちなみに言語はFortranだった).情報科学科に進学してプログラミングにある程度習熟してから詰め将棋を解くプログラムを完成させることができた.大学院に進学してAIを研究することになったけれど,日本ではゲームを研究テーマとすることは到底許される雰囲気がなかったので画像認識やロボットをテーマとして博士号を取って電総研(現在の産総研)に就職した.電総研でも当初はゲームの研究はできずに画像の研究をしていた.将棋の研究はずっと裏で進めていて,表に出したのは30歳を過ぎてからだった.その後すぐに推進役に立場を変えてしまったので,将棋をテーマにした論文は実はほとんど書いていない.思いついていたことのいくつかは後で他の人たちが論文にしている.将棋の本を研究費で買おうとしたら事務の人から電話で詰問されて理由書を書かされた.日本で一番自由な研究所と言われていた電総研ですらそうだった.

 ゲームを研究テーマにしてはいけないという偏見を持っていた情報系の研究者が日本に多かったので,日本はAIの研究の立ち上げが大きく出遅れて取り残されたのだと思う.AIのごく初期のTuringやShannonの論文にチェスが取り上げられていて世界的にはゲームの研究がとても盛んだったのに日本だけ蚊帳の外だったのである.情報系の国際会議ではイベントとしてチェスのプログラムの対戦が行われるのが普通であったが,日本で開催したときは引き受けた日本側がそのイベントの開催を拒んだ.そんなことをしたら情報系が信用を失ってしまうと強く主張したらしい.日本以外の関係者は日本はTuring大先生を否定するのかと呆れていたと後から聞いた.

 1990年代になって状況が変化してきた.その理由を端的に言えば,ゲームが嫌いだった世代の研究者が引退し始めて偏見のない若い研究者が増えてきたためである.1999年になって情報処理学会にもようやくゲーム情報学研究会が発足した.TuringがAIの最初の例題はチェスと言ってから50年が経過して日本でもようやく日の目を見た.思考ゲームだけでなく,デジタルゲームをテーマとしたAIの研究も盛んに行われるようになってきた.最近ではディープ・ラーニングの優秀性を世の中に示したのもAlphaGoという囲碁のプログラムだった.

 いまはコンピュータ将棋協会という組織の会長をしている.人狼とカーリングの研究にもかかわっている.このように一貫してゲームとともに歩んできたのは,ゲームが盛んな家庭に育ったためだと思う.幼稚園のときに麻雀を覚え,小学校低学年のときに花札を覚え,高学年で将棋を覚え,その後もトランプの大貧民やナポレオンなどに没頭してきた.次号の巻頭コラムは同じ家庭で育ってデジタルゲームの会社の社長をしている弟に続く.

(「情報処理」2023年11月号掲載)

■ 松原 仁
1986年東大大学院情報工学専攻博士課程修了.同年電総研(現産総研),2000年公立はこだて未来大教授,2020年東大教授.本会副会長.