私にとってのコンピュータ
大谷由里子(志縁塾)
昭和生まれの私にとっては,コンピュータは「夢の扉」だった.
コンピュータは,演算などの計算を素早く,しかも短時間で行ってくれる.そして,間違いがない.
人の手では時間がかかることを,ミスなくさっさとやってくれる.まさに「夢の扉」.
80年代の初頭,「これからは,コンピュータの時代だよ」と,その道に詳しい友人は言ったけれど,文系の私には理解できなかった.当時は,大型のコンピュータが主流であり,メインフレームと呼ばれていた時代でもある.「こんな装置を操作できる人はすごい!」と,まったく別世界の出来事として捉えていた.
1985年の春,大学を卒業した私は,まったくコンピュータと縁のない吉本興業という会社に入社した.当時の吉本興業では,総務課長がタレントさんのスケジュールを流行りのコンピュータで管理しようとしていた.ところが,マネージャたちに「細かいスケジュールが組みにくい」と,あっけなく却下されていたのを今でも覚えている.そんな私たちの前に最初に現れたコンピュータは,「ファミコン(ゲーム)」だった.
一方,吉本興業では,時流に乗って芸人さんを使ったゲームソフトを作り始め,私の中のエンタテインメントの1つになっていった.
1988年,25歳のときに吉本興業を結婚退社し,27歳で友人と企画会社を立ち上げた.このときに,初めてコンピュータは仕事のツールへと変化する.吉本興業時代は,専門家に任せていたデザインや企画書などを自分たちの手元で作る.企画の内容によっては,大手の広告代理店とコンペになることもある.そのため,当時主流のDOSではなく,操作の簡便さと,デザイン性に優れたマッキントッシュがどうしても必要だった.そのため,出始めたばかりの何百万円もするマッキントッシュを思い切って購入.最初は戸惑いの連続だったが,触っているうちに何とか動かせるようになる.そして,その元を取るために日々,前のめりで営業活動に邁進した.
しばらくして,1993年に日本版のWindows 3.1が世に出た.その後,数年の間にコンピュータは珍しいものではなく,1人に1台の時代へと移る.
それでも,通信は一般の回線を使用していたため電話代がとても高い.1990年代の後半には,ISDNの登場により会社と自宅にパソコンを持つようになり,ノートパソコンを携行し出先のホテルからLAN回線で仕事のやりとりができるようになった.
当時,LAN回線のあるホテルを探し回っていたのが懐かしい.今ではWi-Fiを用いてカフェや公園でも仕事ができる.また近年は,スマホのアプリで一通りのことは間に合ってしまう.
なんとも時代の変化は凄まじい.
きっと,この世界は,まだまだ進歩・変化する.
しかし,人にしかできないこともある.
それは,「か・き・く・け・こ」だ.「感動を作れる,企画できる,工夫する,研究する,恋する」.やはり最後は,人に行き着く.1人の人間としてどうあるべきか……使命と向き合いながら時代の変化を楽しみたい.
(「情報処理」2023年2月号掲載)