ベースボールでキャリア育成論 〜自己紹介〜
自己紹介
私は、1987年、鹿児島市で生まれ、家族は父、母、そして私を含めた三兄弟の長男として育ちました。父は1948年生まれ、2009年に逝去。母は1955年生まれ、2013年にこの世を去りました。両親の早すぎる死は私の人生に多くの試練をもたらしましたが、その経験が私を成長させました。
野球との出会いは、小学校4年生の時、ソフトボールスポーツ少年団に入団したことが始まりです。ここでの経験が、私のすべてのキャリアのはじまりであり、友や恩師との出会いやスポーツを通じて努力することの大切さを教えてくれました。
中学校1年生の時、地元の中学校の野球部に入部しましたが、2週間後に退部し、硬式野球のクラブチームに入団。そこでは、本格的な野球技術と競争の厳しさを学び、また、学業とともに自らの将来をどのように見据えて行くかを描きました。
野球推薦で地元の進学校に進学後は、野球部に入部し、学業と野球の日々を送り、試練を繰り返しながらも、全国誌に名を馳せる程の実力の選手に成長しました。
国立大学に進学後も野球への情熱は衰えず、大学の硬式野球部に入部し、野球に集中するには大変厳しい環境の中、上のレベルを目指し、リーグ戦では優秀選手賞など3度の表彰を受けました。
大学卒業後は、自分自身の可能性を追い求め、独立リーグのチームに入団。2010年の1月からプレーを始めましたが、自らの挫折と家庭の事情があいまり、同年の7月に退団を余儀なくされました。この環境と挫折は、私に新たな視点を与え、次のステップへの挑戦を促しました。
すぐにでも働かねばならない家族の窮地の中、2012年4月1日には、再び野球のキャリアを活かして鹿児島市の建設会社に入社。仕事をしながらも野球熱は冷めず、会社がメインスポンサーを務める社会人野球クラブチームに入団し、再び野球を通じて情熱を燃やし、キャプテンとして全日本クラブ野球選手権に2度出場しました。職業野球の厳しさと楽しさを仲間と分かち合いながら成長し、2015年10月には任意引退となりました。
現在は、同建設会社で営業マンとして活動しています。
野球で育んだエッセンスをビジネスに注入し、営業成績は5年連続トップとなり、社長賞を2度受賞。最年少で課長職に昇進しました。
また、同クラブチームのOB会長を務め、後輩たちに野球を通じて学んだことを伝えています。
さらに、副業法人として、株式会社を設立。代表取締役を務め、本業をより活かすための不動産賃貸業やキャリア教育事業を手掛けており、私の人生のある目標を達成するべく、いつまでも夢見る37歳のサラリーマン起業家です。
私の座右の銘は、『家族と野球に恩返し』です。
野球を続けさせてくれた家族への恩義と、それに伴う野球経験において、恩師のことばや人生の挫折を乗り越える力と、目標達成に向けた情熱を育ててくれた野球に、私なりに恩返ししていく覚悟です。
この書籍を通じて、私がどのようにして野球を通じて困難を乗り越え、自己を成長させてきたのかをお伝えできれば幸いです。
次回は、本書を書く目的について、皆様にお伝えして参ります。