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弁当屋38歳 トライ&エラーの先

6月が終わり、夏が来ますね。

6月は夫の誕生月でした。38歳。30歳で起業したので『ごはん屋いっぽ』も8年になります。

自己資金ゼロからスタートした8年前、それまでは根っからの料理人だと思っていた夫は猛スピードで経営者になっていきました。読書は漫画しか読まなかった彼が猛然と経営書を読み漁り、作業中もポッドキャストで情報収集。それまで食材と料理の話しばかりだったのに唐突なビジネスワードの嵐に妻の私は困惑した時期も。それでも慣れとは面白いもので気付けば夫の話がある程度理解出来るようになりました。

とはいえ知識量と実績は必ずしも比例せず。8年間は身をもって『トライ&エラー』の言葉の意味を理解した日々でした。今日は試しに今までやって来たことを整理してみようと思います。

起業前 イベント出店
2015年 ごはん屋いっぽオープン
1.カフェ&持ち帰り惣菜
2.弁当の店頭販売開始
3.弁当配達(個人宅、町内会等)
4.デイサービス簡易ケータリング
5.料理教室講師

2017年 製造キッチン兼販売所をオープン
6.地元農協や産直での委託販売
7.イベント定期出店
8.学童簡易ケータリング
9.真空惣菜(チルド)、自家製調味料販売
10.企業向け弁当配達

2020年 定食屋オープン
11.酒類提供
12.農家からのOEM製品製造

コロナウイルスの流行

2021年 配達専門店に事業転換
2022年 弁当無人販売所オープン
12.名古屋商業施設での弁当委託販売
13.名古屋公共施設内売店への弁当卸し
14.企業へのレシピ提案&真空商品の委託製造
15.地元企業にて小規模社食運営
16.無人販売所にて野菜販売
17.無人販売にて冷凍惣菜販売

2023年 製造キッチン移転予定(現在)



うん、改めて見ると手当たり次第だね。そしてこの中で現状残っているのはというと。

・企業、団体向け弁当配達
・名古屋公共施設への弁当卸し
・学童簡易ケータリング
・企業へのレシピ提案&真空商品委託製造
・小規模社食運営
・弁当、野菜、冷凍惣菜の無人販売

3分の1位ですかね…。

周りから見たら本当にふざけた店に見えると思いますが本人達は至って真剣。その証拠に年商は順調に上がってきました。おかげで当初、正直ビビりまくっていた起業時、製造キッチン設立時の借り入れ約3,000万も滞る事無く返済し続けて終わりが見えて来ました。

まぁ、途中自宅の電気や水道が止められるくらいには追い込まれましたが…。

今は良い思い出、と自分に言い聞かせてる。やっと肩の荷が降りるかと思っていた矢先。夫が衝撃の一言。

『イチオク、イケルカモナァ♪』

いちおく?あぁ一億ね。一億!?彼の言う『イチオク』は『年商一億円』の事。そういえば一時、

『個人飲食で年商一億とか言ってみたいよねぇ』

と言う冗談を頻繁に言っていた時期があった。コロナ禍を過ぎる頃には、毎日の仕事量に忙殺されてそんな話もしなくなっていたけれど。どうやらやっと一息つける様になり改めて経理を整理した所、いつの間にかその冗談がほんの少しだけ現実味を帯ている事に気付いたらしい。

とはいえ、今の我が店のスペックは20坪の極小キッチンと夫婦2人+アルバイト3人。常時稼働は2.5人で300〜400食を作るという現状既にキャパの比率がおかしい。アホである。

劇狭キッチン①迫り来る冷蔵庫
劇狭キッチン②天井を目指す調理道具たち

が、夫曰く今の劇狭い環境でこの売り上げ。正直、食品ストックや盛り込みのスペースが足りないという理由で製造は出来るけど受注を制限している。倍の広さが有れば、人員をそれ程増やさなくてもまだ行ける!だそうで。

『取らぬ狸の皮算用』も図鑑でしか見た事ないのと、遠くとはいえ肉眼で見える所にいるのではモチベーションに違いがあるらしい。

彼の場合、お金に対する執着や向上心というより好奇心なのだと思う。だから至って無邪気。初めて見た狸(一億)を『ちょっと近くで見て来る!』と走り出してしまう。厄介。

そこからの行動の速さと言ったら。今までいくら言っても、のらりくらりと先延ばしだった移転先を物の1週間で見つけ出し1ヶ月も経たないうちに契約してしまった。

まじかぁ。やっと休めるかと思ったのに。面倒くさがりの妻はため息が止まりませんが置いていかれるのも嫌なので諦める事にします。でも8年間の経験上一緒のペースで走るとマジで死ぬ事は学んだので、後ろから見失わない程度に歩いて着いて行こうと思います。さて今回のトライはエラーとなるか、はたまた…

弁当屋40歳を前にした新たなチャレンジ。宜しければ巻き込まれないよう気をつけながら、一緒に面白がって頂ければ私も歩き甲斐があるというものです。宜しくね。




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