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後悔

⭐️⭐️⭐️⭐️
(星の数でこの記事のオススメ度を
5段階で評価しています)

皆さんこんばんは
フリックフラックいっぽです。

いつも僕の記事をお読みいただき
本当にありがとうございます。

さて今日はね、
この話はもう今年中に書いておかないと
いけないなというか

僕のような立場の人間が
安易な気持ちで書いて良い内容では
無いのかもしれないですけど

どうしても今年中に消化しておかないと
更に後悔すると思うんで

身の程知らずは承知の上で
書いていきたいなと
思うんですけども


どこから書けばいいのか
わからないので
最初から書いていきますね

(思った事を
ほぼ思ったまま書いたので
読みにくい部分あるかもしれないです。
ご了承ください)


今から5年ほど前ですね

5年前の4月

僕、大学に入学しまして

立命館大学というところなんですけども

京都にある大学でして

実家は大阪なんで
実家から通えないことも
なかったんですけど

大阪の南の方に住んでたんで
通うのはちょっと
通学時間的に困難ということで

人生で初めて
一人暮らしをすることになったんですね。

京都府の京都市、
金閣寺と立命館大学が近くにある場所で
一人暮らしをはじめてですね

キャンパスライフのスタートですよ

家具を揃えたり
色々してね

4月から入学オリエンテーションが
はじまるわけですよ

立命館大学っていうのはね

最初にクラス分けがあるんですね

他の大学からしたら
ちょっと珍しいかも
しれないですけど

小中高のクラスみたいな

クラス分けがあるんですね

そういうのが発表されて

他には
サークル選びとかが
はじまる時期ですわ


立命館大学ってね

公認非公認含めて
800個くらい
サークル、部活があるらしいんですね

そういう大量のサークルの中から
自分が入るべきサークルを
探すわけですよ。

僕も
大学といえばやっぱり
サークルだという
イメージがあったもんですから

入るべきサークル探しますよね


入学直後のある日、

そういうサークル事に特化した日が
あったんですね

いわば
今日はみんな学業のことは一旦忘れて
サークル探しに
勤しんでええんやで
みたいな日ですわ

大学の敷地内に沢山のブースが
ズラーっと出店しまして

それぞれが
サークルの勧誘なんですよ

それぞれのブースに
椅子と机が置いてあって
そこで先輩方の
話を聞いて
ここ楽しそうやな、
ここなら僕の、私の
キャンパスライフを捧げてもいいかなってね

心躍らせながら
自分のサークルを決めるんですね

当時18歳だった
髙橋壱歩少年はですね

この時点で
将来は芸人になることを
99%決めていまして

大学はできれば
お笑いサークル
入りたいなと思ってたんですね。

大学で可能な限りの
お笑いをやって
4年後プロの世界に
飛び込んでやろうと

そういう決意のもと
大学構内を歩いていまして

お笑いサークルを探していたんですよ。

そしたらね、
なぜかお笑いのサークルが
全く見つからないんですよ。

立命館大学ってね
今京都と大阪と滋賀にキャンパスがあって
学生数は日本で3、4番目にはなるくらい
多いんで

お笑いのサークルは
絶対にあるはずなんですけど
なぜか見つからなかったんですね

しばらく歩いて


正直ね

オリエンテーションの緊張もありますし
過ごし慣れない土地での
ストレスも半端なくて
疲れたんで
一旦帰る事にしたんですね

家に帰ってちょっと休もうと

そう思いまして
10分くらい歩いて家に帰りまして

8世帯くらいが住む
アパートだったんですけど

家についてとりあえず
ポストを覗いたんですね。

何かが届いてるかもしれないと思いまして

そしたら
とあるチラシが入ってまして


それが

立命館大学落語研究会
チラシだったんですけど

部員募集がメインのチラシで

大きくね

立命館大学唯一のお笑いサークル

って書いてまして

で、これは後々わかったこと
なんですけど

立命館大学ってね
800個もサークルがある割にね

ちゃんと活動しているのは
おそらく50も無くて

というのも
部員が少なかったり
大学からちゃんと認めてもらえなかったりして
満足のいく活動ができないんでしょうね

こんなに冷遇されるんやったら
サークル作る意味ないやん
ってなってほとんどの
サークルは誰の目にも触れずに
日の目を見ずに
解散していくわけですよ。

それに対して
立命館大学落語研究会というのは
僕の入学時点で
52年の歴史を誇ってまして

大学から立派な部室も
部費もいただけるような
ちゃんとした
素晴らしいサークルだったんですね

そんなことを知らなくても
18歳の髙橋壱歩少年はですね

立命館大学唯一のお笑いサークル

という文言に心を打たれまして

すぐに大学構内に戻ったわけですよ。

立命館大学落語研究会の
入部手段を探るために

そしたらね
僕、
初芝立命館中学校高等学校っていう
立命館大学の提携校に
通っていたんですけども

提携校出身なので

中高の同級生も100人規模で
一緒の大学に入学してるんですね

大学構内入ってすぐに
たまたま
高校時代の部活の先輩に
出会いまして

落語研究会に興味がある事を
話しましたら

なんとね

その落語研究会の
その当時の会長が

僕と同じ高校の卒業生であることが
判明したんですね。

つまり、僕が高1の時の
高3の方が
たまたまその当時の
会長をされていたんですよ。

連絡をとってもらって
部室に行く事になりまして

で、部室に着きまして

そしたら何人かの部員の方と
入部希望の同級生が
いたわけですよ

僕はまずね

「チラシを見て来ました」

って言ったんですね。

そしたら
立命館大学落語研究会が
チラシのポスティングをはじめたのは
どうやらその年が初めてだったらしくて

運良く僕の家のポストに
そのチラシが投函された事によって
僕が部室に来ることが出来たという
事実が判明したわけですよ。

ちょっとだけ運命的なものを
感じて

更に

「僕は芸人志望です。
落語研究会か知らないですけど
漫才をしたいと思ってます」

ってのを生意気に伝えてね

反応を待ったんですけど

どうやらね
そういう人間が来るのを
想定してなかったみたいで

部としては
僕にめちゃくちゃ
入ってほしくなかったみたいなんですよ

これは後から聞かされたんですけど

外来種が入ってきた感覚というか

みんなで楽しく
落語してたのに
僕という人間が来て

生態系を崩されたというか

その時の僕はもはや
ブラックバスだったんですね

みんなが楽しく
学生落語をしていたのに
急に漫才ガチでしたいやつが来て
正直邪魔というか
趣旨がブレるというか

出来れば他のサークルに行って欲しいなって
気持ちが強かったらしいんですね

だからこの数週間後にあった
新歓コンパの焼肉も
なぜか僕だけお誘いの連絡
遅かったですしね

でも僕はそんなこと
知ったこっちゃないですから

めっちゃ濃い落語の話を聞きつつも
そんなん知らんがなと思いながら

どうやったら落語研究会に
侵入できるか
考えてたんですね

で、話の流れで
落語研究会の部員と
入るか迷っている1回生との間で

好きな落語の話になりまして

髙橋くんはどんな落語が好きなの?

って聞かれて

正直、
そんなもん知るかいなと
思ったんですけど

僕はたまたまその直前に
なぜか聞いてた

桂米朝師匠の
『一人酒盛り』という演目が
好きだと言ったんですね

そしたら

「え!?『一人酒盛り』!?
めっちゃ渋いじゃん!
めっちゃ落語好きじゃん!
そういう落語が好きなの!?」

みたいな感じで
小盛り上がりしたんですよ。

その演目が
そこまでメジャーでは無いことも
何も知らない当時の僕ですから
たまたま落語に精通している奴が
好きそうな演目を言ってしまっただけで

なんの手応えもないまま
過ごしまして

結局、立命館大学落語研究会に
入る事になったんですけども

とりあえずその時の説明では

立命館大学落語研究会では
落語は別にしなくてもいい
君がしたい漫才だけして
たまに落語してくれればいい

という感じだったんですね。


それを真に受けていたんですけど

現実はそうはいかなかったんですね

立命館大学落語研究会ってね

その当時
大会とかの実績がそこまで芳しくない割には
システムやルールは非常に厳しい
サークルでして

何かの落語をするってなったら

その落語の演目のプロの映像や音声を
CDやらYouTubeで聞いて

文字に起こして覚えて

部員5人にマンツーマンで
実際に落語をやって見せて
そこでも批評をもらって

その批評を元に落語を修正して

そこから次は
部員全員に見せて
批評をもらって

技術部長という技術を司る人間に
オッケーをもらって初めて、
落語研究会以外の人

人前でできるという
システムだったんですね

漫才だけやっていたらいいというのも
誤魔化されていただけで

部員は年に3本は
落語をしないといけないという
かなり厳しいシステムだったわけですよ。

そうなった時に僕は正直ね

なんでそんなに落語せなあかんねん
というか

落語をするつもりで
入ったわけではないのに

しないといけないのが
意味わからないというか

理解できなかったんですね

でも
立命館大学落語研究会というのは

立命館大学の中でも
トップ20に入るような
由緒正しきサークルでして

他のいつ消えるかわからんような
サークルに入るよりも

大学内の会場が借りやすかったり

メリットは多かったんですよ。

52年も続いてますから
OB、OGにも沢山凄い方が
いましたし

だから僕のしたいことを
実現するためには
落語をするしかない
その時思ったんですね。


で、6月頃になって

僕ら大学1回生の落語1本目ですわ

立命館大学落語研究会では
1本目にやる落語があらかじめ決まってまして

部員を2種類に分けるんですけど

上方落語江戸落語っていうのがあって

基本的には

関西出身
関西弁を喋る人は上方落語

標準語を話す人は江戸落語という風に
大まかに括られるんですね

上方落語でやりはじめたら
基本的には江戸落語への変更は不可で
上方落語をやり通さないといけない
というルールだったと思います。

で、上方落語と決めた人は

桂米朝師匠という
人間国宝の方を参考にして
『つる』という演目をする事に
なるんですね

で、江戸落語の人は

柳家小三治師匠という
人間国宝の方を参考にして
『子ほめ』という演目をする事に
なるんですけども

桂米朝師匠は
この時点で亡くなっていてですね

生で聞こうと思っても
無理なんですね

もう亡くなってますから

CDとかDVDなどでしか鑑賞することが
出来ないんですよ。

でもこの時点で
小三治師匠は生きていらっしゃって

先輩たちが

「小三治師匠はいつ死ぬか分からんからなぁ。
見れる時に見といた方がいいな」

ってね
冗談混じりで
口々に言っていたんですけども

正直ね、

僕その時
落語の知識は
全くないですから

何言うてんねん

というか

知らんがな

という気持ちが強かったんですよ

今の気持ちは
もちろん違いますけど

その当時の僕の認識では

落語家というのは
落語をして飯を食っている人

この程度のものだったわけですよ。

そこからしばらくしてですね

僕としては

なんで落語せなあかんねん
俺は漫才したいねん
って気持ちが強かったんですけど

漫才と落語を両方しながら
過ごしてるうちに

1年経つか経たないかくらいの頃ですかね

めちゃくちゃ尊敬する先輩を
他大学の落語研究会で見つけまして

その人
落語も漫才も
両方してる人だったんですけど

「漫才頑張りたいなら
絶対落語もした方がいいよ
どっちにもプラスになるから」

っていう言葉をいただきまして

そこから
今までの意見とは一転

あ、俺落語も真剣にしよ
って思うようになりまして

その方
学生落語の全国大会で
優勝するような
凄い方だったんですけど

もうこの時点で
落語のスイッチが入ったわけですよ

やっと

だいぶ時間はかかったんですけど

学生落語を真剣にするようになりまして


そこから約4年間ですか

色んなことがありまして

本当にね
色んなことがあったんですよ。

落語とか落語研究会時代の話は
もっとね
何年か後に
詳しく記事で書きたいと
思ってるんで

今回の記事では詳しくは
書かないですけど

落語に関しての記事はね
この辺がそうなんで
時間ある時に
またお読みください。



ここからはだいぶ割愛して


この記事の本筋に関係ある部分だけ
抽出して書いていきますね。

まあ
先輩に前述の言葉を頂いて
落語を真剣に取り組むようになって
しばらくしてですわ

ある出来事が起きまして

大学2回生くらいの頃ですかね

僕にもついにね

好きな落語家さんができたわけですよ

まあ別に今まで聞いてきた人が
ハマらなかったわけでは
決してないんですけど

ハッキリとね

その人の落語、その人の声
その人の振る舞いが
好きだと

思えるような人が
できたわけですよ。

僕も元々は嫌々はじめた人間ですから
まあこれだけでも成長ですよね

柳家喜多八師匠
という江戸落語をやっていた方
なんですけども

僕はね、
まあ上方落語をやってまして

上方落語をやってるとね

必然的に江戸落語よりも
上方落語の方が
聞く回数が増えるわけですよ

江戸落語を全く聞かない
わけではないんですけど

まあ比率的には
上方落語の方が
多くなるんですね。

で、たまたま江戸落語を聞いてまして

柳家喜多八師匠
たどり着きまして


なんじゃこの人はと



これは是非生で聞きたいぞと


江戸落語を生で聞くには
やっぱりどうしても
東京まで行かないと
難しいというか
関西に来られる機会の多さは
人によったりするんですけども

これは東京行ってでも
聞きたいなと

そう思いまして

ネットで検索してみたんですね

そしたらですね


驚くべき事実にたどり着きまして


柳家喜多八師匠ね
2016年の5月に亡くなっていたんですね。



2016年の5月ですわ

僕が大学に入学して
落語研究会に入部したのが
2016年の4月です

5月はまだ

やっと少し『思春期』を通り過ぎて
『なんで落語やらなあかんねん期』
でした

つまりね、
当たり前ですけど
もう生で見ることはできないんですよ。

この時にね
思いましたね


もっとはやく落語に出会っていればと


もっとはやく出会って
もっとはやくのめり込んでいれば

喜多八師匠の落語も
生で見ることができたかもしれないのに

って

後悔しても
しょうがないんですよ

もう絶対に無理なんですから

その時ね

まあ後悔は少ししてしまったんですけど

どう考えても
見るのは無理やったなと

4月の時点で
落語するつもりなかったのに

5月に東京まで
落語を見に行くまで成長するなんて

絶対無理やなと


人生を何度やり直しても
不可能な気がして

気持ち切り替えまして

喜多八師匠がやっていた
落語の演目で
『近日息子』というものが
あるんですけども

それを僕もやる事にして

喜多八師匠オリジナルのくだりが
あるんですけども

そのくだりを拝借しまして
定期公演でやりました

ラップでいう
サンプリングみたいなもんですね

完全に僕のひとりよがりですけど

無理矢理自分を納得させたんですね


で、ここからですね

落語研究会では
先輩が引退されて
自分たちの代が最高学年になったり

僕が会長をさせて頂いたり

学生落語の全国大会で
優勝させて頂いたりして

しばらく経ちまして

この4、5年間ずっとね

僕は落語研究会の部室を
出入りしていたんですけども

その部室にね

常に置いてあったものが
ありまして

部室には落語の参考資料が
沢山あったんですけども

その中の一つが
DVDの
柳家小三治全集
ですわ

小三治師匠の有名な落語を
何本か集めて映像化したものなんですけど


柳家小三治師匠ってね

前述しましたけど

まあうちの落語研究会では

最初の

部員が1発目にする落語の

参考にさせていただく落語家さんでも
ありますし

それ以前に

人間国宝なんですよ

落語家で人間国宝って
今までに3人しかいないんですね。

その3人の中の1人ですわ

まあ大スターですよ

小三治師匠の落語
僕は
DVDとかCDとか
映像では
何度も見たり聞いたり
しましたし

小三治師匠は江戸落語なんで

本来見る回数はそこまで
多くないはずなんですけど

まあ何度も見聞きしましたよ

何度も見聞きしました

名人芸を
映像や音声を通して
楽しませて頂いたわけですよ。

で、この4、5年間

先輩、同期含め
落語研究会の部員たちは
皆何度も口にしていました

「小三治師匠は本当に冗談抜きで
いつ亡くなるかわからない

見れるうちに機会を作って
見ておいた方がいい」

もしかしたら
自分の学年通り越して
後輩も言っていたかもしれないです。

でも僕は正直ね

あくまで冗談半分で
聞いてしまってたんですよ


ホンマにもうすぐ死ぬなら
いつ死ぬかわからんなんて冗談は言わん

ということはまだまだ生きるんやろなぁ

くらいに思っていたんですよ。


一度も生で見ようと思わなかったんですね。



生で見たことのないまま

そこからまた何年か経ちまして

今年の10月

家でぼーっとスマホを見ていた僕

驚くべきニュースが
目に飛び込んできました。


『落語家の柳家小三治さん死去』


正直しばらく動けませんでした

色んな感情が入り混じって

嘘やろ?

とか

僕はまた同じ過ちを
犯してしまったんだろうか

とか

なんて表現したらいいんですかね
この感情は

別にね

僕今落語をはじめてから
6年くらいですけど

この6年間で
一度も切実に小三治師匠を
生で見たいなとは
思ってなかったはずなんですよ。

正直ね

でもね、
なんかその時に

一回見とけば良かったな

って言葉で片付けられれば
楽なんですけど

そんな簡単な表現では
片付けられないというか

見たいとそこまで思うことすら
僕レベルの人間は
できなかったんじゃないかと

でも確かに見たかった
見ようと思えば見れたのに
見れなかった

というか

感情がちょっと整理しきれなくて

もうね、

こんなに後悔するなら

「小三治師匠は生きているうちに
見といた方が良い」

なんて言わないでほしかったです

というか

その言葉さえなかったら
こんなに後悔せずに済んだのにって

よくね
推しは推せるうちに
推しておけ

みたいなね

言葉ありますよね

これって例えば
好きなアイドルグループがいたとして

解散しちゃったりするかもしれないから
見に行ける時に見とけ

とか

好きな芸人さんがいたとして

急に解散したりするから
見れるうちに
ライブとかも行っとけよ

とかも
同じような内容のことだと思うんですけど


推しじゃなくても
見とかなあかんものってありますね

推しじゃなくても
後悔ってするんですね


もう見れないんですね


こんな僕が言える立場じゃないですけど


最後に一つだけ

小三治師匠
ただただご冥福をお祈りいたします。

ありがとうございました。


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