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反出生主義者が反出生主義を論破してみた

唐突ですが私は反出生主義者です。

理由は簡単でこの世の中にこれ以上の不幸をもたらしたくないからです。
人生というものは少なからず不幸を伴います。その不幸を最小化するためには新しい命を生み出さないということが最善の策です。

これはよく快楽と苦痛の非対称性として挙げられます。どういうものか簡単に説明しておくと、まずこれは「苦痛のある世界は悪い」、「快楽のある世界は良い」という前提のもとに成り立っています。

ここで快楽や苦痛を受ける主体が存在する場合と存在しない場合を考えてみましょう。

主体が存在する場合、苦痛のある世界は悪いと言えます。反対に快楽のある世界は良いと言えます。

主体が存在しない場合はどうでしょう。

苦痛のない世界は良いですが、快楽のない世界は悪いとは言えません。快楽を受ける主体が存在しないのですから、悪くない(プラスマイナスゼロ)であると言えます。

すなわち、主体が存在する場合としない場合を考えた時、存在しない方がトータルでの世の中の快楽を最大化でき、苦痛を最小化できるという結論になるのです。(wikipediaでベネターの項を参照ください)

この反出生主義ですが、私は必ずしも正しい哲学だと考えてはおらず、腑に落ちる反論があればすぐに反出生主義を脱するつもりでいます。しかしながら今まで私が聞いてきた反論の中で腑に落ちた反論というのは1つを除いて存在しません。その1つは最後に紹介します。

さて、このような反出生主義の考え方は世の中の苦痛を最小化するという大前提に基づいて成り立っています。そのため自身が反出生主義者であることに対して、よくこのような反論が寄せられてきますがこれらは全て的外れです。

だったら今すぐ自殺すれば?

私が死ぬことによって私の家族や友人は悲しみます。これは世の中に不幸を生み出すことであり反出生主義の基本理念に反します。反出生主義が理解できていないからこその反論であり、全く的外れの反論です。

その主張は理解できるが他人に押し付けるのはおかしい

私は他人には押し付けていません。私がこういう考えを持っていると言っただけです。また、この主張を他人に押し付けることによってその他人が不幸を被るのであれば前述したように世の中の不幸の総量を増やすことになり理念に反します。

そのような考えの人が増えると人類が滅亡する

そもそも私は人類が繁栄していくべきだとは思っていません。人類が繁栄したせいで野生生物は絶滅の危機に追いやられ環境問題や気象変動も起こっています。なぜそもそも人類は繁栄すべきという固定観念に縛られて反論するのでしょうか?その反論も筋の通ったものにするためにはまず人類が繁栄すべきという前提に対して根拠を示していただかなければなりません。

このような感じで反出生主義に対する反応は全て的外れでトンチンカンなものが多いです。ネットで検索すると反出生主義に対して色々な反論が出てきますが、すべて反出生主義を理解していないから出てくる反論で全て的外れ、いわばストローマン論法のような感じになっています。

一方でそれを知ってか知らずか最近は「反出生主義 反論」とネットで検索すると「正しすぎる」「論破できない」といった予測ワードが上がってくるようになりました。

確かに私が知っている限り反出生主義の論破に成功している言説は1つしか出会ったことがありません。


ここで言いたいのは1つあるということです。


大体反出生主義に対する反論は的外れでトンチンカンなものですが、決して反出生主義は論破不可能な最強理論ではなく、私の知っている限り1つだけ反論に成功した言説があります。

これは以下のようなものです。

反出生主義は人類の滅亡を「悪くない事」としており新しい命をこの世に生み出すことを否定します。これは世の中の不幸の総量を最小化するという理念に基づいています。
しかし誕生する命の量がどんどん減っていくと世の中は高齢化社会、超高齢化社会と続いて行き人類が滅亡する直前には多大な不幸を生み出します。
人口ピラミッドが六十歳以上の人間しかいなくなったような世界を考えてみてください。世の中にはよぼよぼの老人しか存在しておらず当然ながら年金制度、社会保障制度などは機能していません。老人は自給自足で生活するしかなく体が動かなくなったらそのまま餓死するしかありません。
このような世界は多大な不幸を意味します。反出生主義のあなたが主張していることは目先の不幸を減らすことには成功していますが、数十年後の多大な不幸を肯定していることになるのです。
世の中の不幸の量を最小化すると言いながらこの数十年後の不幸を受け入れるのは矛盾しているのではないでしょうか。

これは誰だったか忘れましたが、こちらの本で見かけた反論です。反出生主義に関して研究する哲学者の反論だったと記憶しています。

私はこの反論には一理あると思います。

私は今のところ反出生主義者であり続け自分の子孫を残さないつもりでいますが(子供が嫌いという側面もあるため)、この反論は真摯に受け止めたいと考えています。そしていつか気が変わって自分の子孫を残す日が来るのかもしれません。

反出生主義と聞いただけで顔を真っ赤にして反論してくる人はせめてこれくらいまともな反論をして欲しいところです。

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