180406の雑記
180406
「生きづらさ」と「困り感」がここのところの私のキーワードです。
抑うつ状態に困らせられるようになってから早10年近くですが、相変わらず自分とうまく付き合うことができず生きづらいわけで
高校一年生の頃に本格的に"ダメになり"
そこから初めの4年間は、抑うつ状態に対し
「治さなきゃいけない!普通にならなきゃ!」
というスタンスで七転八倒していました。
本当のところは
<治りたい、普通になりたい>
でもあるのですが、どうしても語尾が「~しなきゃ」になる癖が抜けず、無意識のうちに言葉によって心が追い詰められていたようにも思います。
墜落しては這い上がり、飛ぼうとしては墜落し。
そのうちに「私はどうやってもアカン人間なんや」と自棄になっていきました。
と、そこでまさかの妊娠。
人生に行き詰まっていた私を変えてくれる一筋の光明だと思い、"学生なのに人妻妊産婦である自分"にこれ幸いとしがみつきました。
所帯を持つ身となり、度々起こる抑うつ症状が私の性質であることを認め、今度は
「私にふりかかる課題」
として捉え始めました。
復学後、ここで華々しく課題を乗り越え、卒業したるんや!というモチベーションを元に奮闘。
課題として捉えていたので、傾向と対策を立てて自分をどこまでコントロールできるか調整しつつ、淡々とやるべきことをこなしていく。
ろくな子育て支援もない小さな公立大学で実験系の学科で単位を揃えるのはかなりキツいスケジュールでしたが、旦那が同じ大学の文学部だったこともあり、2回生からの2年間をなんとかこなしていました。
「お?不調が来にくいし来ても対処できてる。もしや私はいけてるの(大丈夫なの)では?」
と調子に乗ったのがいけなかったのか
3回生後期からの研究室配属後は、修士に進んでいた旦那に、そして周囲に、
「私は育児も鬱もあるけどここまでできるんやで!」
と研究成果で示そうと必死で食らいつきました。結果、空回りしてたんですけど。
そこで溜まっていたなにかが噴出したのか、体調を壊すことが増え、思うように実験できず、研究室に行っても頭が働かなくなり、4回生になる直前の3月のある日、身体が研究室に居られなくなりました。
これはアカンやつや!
経験からくる勘(もっとはよ働けよ、勘)でその日のうちに学内カウンセリングを受け、研究室を休むことにしました。
(ちなみにこの日以降一切研究室に行かなくなるとは、この時は思ってもみませんでしたが)
運よくいい感じのカウンセラーさんや精神科の先生に恵まれ療養生活に入りました。
はじめは
"とりあえず1ヶ月休んで復帰!"
だった目標は状態の悪化と共に
"できたらなんとか卒業"
"卒業……できなくてもいいから元気になりたい……"
と変化していき、
卒業を諦めはじめた夏の頃にようやく抗うつ剤ガチャが当たり(4ヶ月で当たりを引けたのは早い方だと思う)、効きはじめた抗うつ剤のおかげで
「そもそも元気になりたいってなんだ」
「私はなんでしんどいんだ」
「ていうかしんどいって何がだ」
という、今までたくさんの「しんどい」に押し潰され考える余裕もなかった、根本的な問いに頭を回せるようになりました。