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自分の見えている世界は、人とは違うということ。


子供の頃に思ったことがある。
人間は目を2つ持っていて
緑は緑色、白は白色と共通の色があって
緑色、白色と判断しているように
生きてきた。

学校で、色盲の方の話を聞いた時
疑問に思った。

人によって同じように見えないことがあるって。

私の見えてる緑色は
他の人にはどんな緑色なのかどうかは
見ることも知ることもできない。

本人に見えているものが
緑色だと共通の判断ができているくらいしか
知ることは難しいのではないか。


とすると、私の見えている世界は
私だけのものかもしれない。

私が聞こえてくる声、物音、
見えている人、反応して感じる感情など
毎日生きている中で当たり前だと
思ってきた世界は
私にしか見えない。

どこかで孤独が耐えられないから
共通な世界を見ていると思いたかったのかも
しれないけど

はっきりと、統合失調症だと
自覚できたときに見えている世界は
私だけの世界だったんだと知って
悲しい気持ちと、辛い理由が腑に落ちて
安心した気もする。

感じ方も私特有の感性みたいなのもある。

ちょっと変わっているんだってことも
最近自覚できてきた。
それで嫌がられてることもあるってことも。

私の見えている世界、
聞こえてくる声、
感じ方。

人それぞれ色々あるってことは

100人いたら100種類の
見えている世界、
聞こえてくる声、
感じ方がある。

これが正しいなんて決めてたら
緑色はどんなものになるのか。

感じ方が違えば
同じ言葉の声も違って聞こえるのではないか。

感動する感性もそれぞれ。


私の世界はこれはこれで
いいじゃないか。

100人いたら100通りの世界が
あっていいじゃないか。

おにぎりと豚汁にお腹も心も沁みる
この感性を大事にするように

不定期で訪れる私の目の前に広がる
厳しく批判され過酷な独りぼっちの世界
も、共に生きてきた感性の一つとして
心に置いておこうと思えてきた
昨日より今日、私は一歩前に
出れた気がする。

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