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「聴く」をめぐる冒険①~はじめてコーチングを受けた日~
サラリーマンコントと婚活疲れと父親の病気
2017年1月、父親に膵臓癌が見つかった。
その頃の僕は38歳で、外資系生命保険会社の経理の仕事をしながら、休日は婚活と趣味の日々。
仕事は、チーム作りなどにやりがいは感じていたものの、そもそも親会社の「利益・効率主義」や「優秀な人だけ生き残ればよし」みたいなところに違和感を感じていたし、経理という仕事も自分に向いているとは思っていなかった。
数年続いていた婚活は、完全に拗らせていて、もはや転職活動のようになっており疲れ切っていたので、唯一のプライドは、仲間たちと開催している趣味のコントライブだった。
元々は大学の吹奏楽サークルの仲間とノリで始めたことで、社会人になって「練習の時間と場所を選ばないコントなら、忙しくなっても続けられるかも」と思い、途中からは1年に1回、100人くらいの劇場を借りて計10回、単独コントライブをやった。
最初のうちはスベり続けていて、1時間のライブで、優しさで数回笑ってくれる人が数人いる、みたいな状態だったが、mixiで女優さんを公募したり、脚本を書く人や演出や指導をしてくれる人などの出会いもあり、徐々に人が増えてきて、10名前後の役者が演目によって入れ替わり数名ずつ出演するスタイル。脚本を書く人や音響、照明、制作さんも含めて20名前後のチームになり、10年くらいで爆笑もあるライブをすることができるようになった。
「多忙なサラリーマンでも人生を楽しめる。」
「サラリーマンだからこそできる表現がある。」
「職場でも家庭でもないセーフティネットをつくりたい。」
そんなところに思いを持って続けていたが、かげりも見えてきた。
独身で元気なうちはいいが、子育てや介護、病気や仕事を失う人たちが出てきたときにこの状態を続けられるだろうか?
少し先の将来に不安を感じながら、そこから目を背ける活動になっていないか?それってセーフティネットっていえなくない?
現に38歳、周りでは、仕事と子育てで趣味の時間も取れない人はたくさんいたし、失業や鬱病など、人生のトラブル的なイベントが起こった友人に対して、僕は何もできなかった。
そして、そんな疑問が頭の中をめぐるようになった頃に父親に癌が見つかった。父親とは仲が良くなかった。両親同士も僕から見ると仲が良くなく、当時の僕にとって、家族は居心地の悪い場所だった。父親の手術は成功したが、介護の可能性を考えると絶望した。
途方に暮れて自分が何をしたいかわからなくなり、なんとなく自分のこれまでの人生の棚卸しをしたいなあ、と思っていた時に、コントの仲間の1人から「自分の好きなことがみつかる「ブログ塾」というのがあるらしいよ。」と誘ってもらって、一緒に通うことになった。
ブログ塾
ブログという言葉を今聞くと、この数年で著名人ではない個人の情報発信に対する考え方は随分変わったなあ、と思う。
今はnoteなどで個人の情報発信はポジティブなイメージだが、2017年当時、ブログ塾に行く前の僕のブログに対するイメージは、
①芸能人とか有名人がやっているもの
②アフィリエイトとか個人事業主の集客などのお金儲けのためのもの
③洗脳されちゃった人やイタい人が自分語りのためにやっているもの
あたりだろうか。
立花Be・ブログ・ブランディング塾は、好きなことを1日少しずつでも習慣化して、ブログで振り返りや情報発信しつづけることで得意なことに進化させていくという主旨だった。
数週間に1回のペースで約半年通い、その間、ブログはほぼ毎日書いてSNSでシェアし、1年半で352記事書いた。
そんな異常な頻度だったから知り合いのうち何人かは②か③を想定し、他人行儀になったり、イジられたり、心配して忠告してくれたりした。
僕も逆の立場だったらそうしていた。
でも、真意をわかってもらえない悲しさや、それでも挑戦し続けるんだ、というドヤ感や攻撃性も確かにあったので、文章にもそれが滲み出てしまっていた。
ブログに興味を持ってくれる人や感想をくれる人もいて、その時は、文章を褒めてくれることが一番嬉しい、と思った。
ブログ塾やブログ仲間やブログを書きながらのトライ&エラーで得たものは多かった。
最大の収穫はコーチングを知ったことだ。
はじめて聴かれた体験
ブログ塾の主催者の立花さんのブログでコーチングの存在を知り、自分の人生の棚卸しをしたい僕は興味を持ち、ブログのネタにもなるしと、同じコーチにコーチングのお願いをすることにした。
はじめてコーチングを受けた日の衝撃は忘れられない。
テーマは両親との関係にした。コーチの質問に沿って、僕は両親との関係を、「鎧と盾と剣をまといながらお互いをいたわりあおうとしてるのに傷つけあっている感じ」と例えた。
そこでコーチから「その状態を感じつづけてみてください。」と言われた。
僕は、話している時の自分の感情を意識的に感じようとした経験がなかった。
居心地の悪さや怒りや痛みや悲しみを感じ続けていると、感情は固定されたものではなく、徐々に流れていくような感覚を得た。
やがて、その奥から暖かいものが湧き出てきた。言葉にするなら、「大切にしたい」とか「愛しい」といった感情だ。
その上で、「本当はどうしたいの?」という問いをもらって、ああ、僕は真意を聴いてもらっている、という体験をした。
真意に気がつくと自然と行動が変わる。以降は当時の日記の一部だ。
5月☓日。父の不満を聞いた。テレビはつまらないと言っていた。DVDをみれるようにした。
5月☓日。父がどんな映画が好きなのか考えた。
5月☓日。父の好きな映画作品を聞き出した。母アシストあり。椿三十郎、太陽がいっぱい、ベンハー。ゲームはやらないとのこと。
5月☓日。両親に自分の意見を伝えるとき、怒りの感情とともに伝えることが普通になっていたことに気がつく。
5月☓日。だめなところがでた。疲れて憎まれ口を。父と母のコミュニケーションがうまくいっていない。父と話す時に聞く姿勢をもつ筋力はついてきた。何が二人のコミュニケーションをよくするか、考えよう。
5月☓日。疲れがピーク、無理をしている。少し歩くスピードをゆるめよう。いま僕にできることは何か、はあまりこだわりすぎずに進もう。
5月☓日。父からたよりにされて嬉しかった。
それがたとえ納得のいかないことや腹の立つことでも、一度、相手の話を最後まで聴く姿勢をもつと、相手の本当の声が聴こえやすくなる気がした。
聴かれた体験をすると、自分もその体験を誰かに贈りたくなる。ただ、今、日記を読み直すと、父のことを「自分がケアしないといけない弱い人」という色メガネでみていると感じる。でも、それでいい。
近しい人ほど聴くことは難しい。