寄せ場心得 ~閉鎖病棟にありがちなこと~
はじめに こんにちは。本書を手に取ってくださり、ありがとうございます。
社会に生きる大半の人々にとって、精神科閉鎖病棟は「自分とは遠い世界」と思っておられるのではないでしょうか。 しかし、現実問題として日本の精神科医療のベッド数はOECD加盟国のなかで断トツの一位であり、二位を大きく引き離している事実を知る人は少ない。それが、この国の実状です。 閉鎖病棟の実態はいまだに多くの人々にとってナゾに満ちたものではないでしょうか。 本書は私の35年間の患者生活を通して、その不思議な世界の入り口をご紹介するものです。 あなたは閉鎖病棟を生き残ることが(笑)できますか?
1. これが閉鎖病棟。入院!もう帰れない…
リーマンショックが日本を襲った年に 私は山の中のいわゆる「その手の病院」にいました。その病院は長年に渡ってその街の市民から忌み嫌われていました。そして皆が言ったものです。 「入る時には二本足。出ていく時には四本足。生きて出られたら奇跡」と。 それはその病院が他ならぬ「精神科病院」であり、退院出来た患者が極めて少ないことを意味しました。少なくとも自ら望んで入院を志願する人々は少なかった頃です。ちなみに四本足とは死体を運び出すストレッチャーの脚の数からです。 今でこそ社会問題としてうつ病患者は多いですが、私の入院はちょうどうつ病患者が増えはじめたその頃です。 その病院は長年に渡ってYと言うドクターが院長をしていましたが、高齢を理由に引退して副院長だったドクターがそのまま残って院長になったのです。私はこの院長に昇格して間もないドクターに大変お世話になりまして、この院長からの「入院勧告」を受け入れてそこに来ました。 このドクターは後に閉鎖病棟にいた多くの患者を社会に復帰させた、言わば「恩人」ですが、当初はそれを理解する患者や医療関係者は皆無でした。 「心配しなくて大丈夫です。悪いようにはしませんからね」と言われましたが、その言葉を信じて良いのかどうか、かなり迷ってました。 しかし、当時私が働いていた警備会社というのが今で言う「ブラック企業」。 昭和の体育会のノリを地で行く会社でしたから、警備班長からの殴る蹴るの暴行が毎日続き、心身は疲弊の底にありました。それに加えてリーマンショックが来たのですから状況はかなり悪かったのです。会社が 誰を辞めさせるか幹部が会議をしている、なんて噂もありました。そこで人柱になったのが統合失調症を持病に持つ私だったのです。会社からの給料の未払いと、いい加減な時給削減で働いているのに借金がかさむという有様です。残業が百時間を超えているのにスズメの泪のような手取りですから明らかな搾取なんですが、それを訴えるなら出ていけ、という会社でしたから大変です。他に仕事なんてハロワ(ハローワーク)に皆無ですし、クルマのローンや借金の返済をかんがえると過労でたおれるまで働くハメになる。そうして私は案の定、クビになったわけです。 解雇通告の後に真っ先に当時通院していたクリニックに行きまして、まあ、その場でめでたく入院勧告されたわけです。クリニックから自分でクルマを運転して入院病棟の玄関に行くと、ナースとナースマンが待っていて閉鎖病棟に案内されました。かくして私の患者人生最長の病院暮らしが始まりました。
2. 洒落にならない患者のオキテ
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