因果応報
因果とは原因があれば必ず結果がある、ということを指す仏教の言葉です。
そして応報とは報いがあるということ。
世の中の人は「この世は理不尽!悪いことばかりする人が平然と暮らしている反面、善い人はいつも損をする!」と歎きますが、本当にそうかと言えばそうも言い切れません。
実際には自分がひどいことをされたとき、よく思い出してみると自分自身が他人に対して同じことをしていたとか、善いことがあったのでありがたい、と思って思い出したら自分も誰か他人に同じことを施していた、なんてことは結構あります。
要するに「自分の行いは必ず自分に返って来る」ということです。
あまりにもひどい扱いを他人にされたとき、その他人を思わず恨んでしまう、ということは他ならぬ私にだってあります。
ましてや、自分が何も悪いことをしていないのに理不尽な扱いをされたのなら当然腹も立ちます。
しかし、それを神の試練と捉らえてぐっ、とこらえるとき、人は人知を超えた何かを得とくするのではないでしょうか。
自分に厳しく他人に寛容であれ、というのはなかなか出来ることではありません。
しかし、いまある悪い因縁がかつての自分の行いであるならば腹を立てるのは善いことではありません。
人間社会というものは迷惑の掛け合いで成り立つもの。
「人はみな、落ちこぼれの天使」である、というスピリチュアル・カウンセラーの江原啓之さんの言葉は我々の愚かさを救ってくれるものではないでしょうか。
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