破れた夢の後始末
若い頃には夢や希望がたくさんありました。
だいたい高校生くらいになると自分の人生設計の青写真をこころに思い浮かべ、誰もが人生の成功を夢見るものです。
中学や高校、大学を卒業して期待に胸膨らませて社会のなかに漕ぎ出すときの、あの高揚感というのは独特なモノ。
やがて、社会の現実を知り、家庭を持って仕事と生活に疲れ果て、自分のかつて思い浮かべた夢をひとつ、またひとつと失うたびに溜め息と酒の量が増えるのが普通です。
世の中には夢をかなえる者が居る反面、かつてこころに思い浮かべた夢を夢のままで封印する人々の二種類が居る。
夢の後始末。
それは現実のなかに自分を埋もれさせること。
そして、それを自分に納得させることに他なりません。
だからといって、夢に敗れた人々がみな、負け犬だったのかといえば私は違うと思います。
夢や希望をかなえられない場合、早い話がその人に「適性が無かった」場合がとても多いのではないでしょうか。
長嶋やイチロー、大谷翔平に憧れたとしても野球の適性が無いならば、その入口に立つことすら出来ません。
夢をかなえた人間が英雄のように言われますが、それはその人にその世界の「適性」があったからだと私は思います。
社会の人間の9割は名も無き労働者で終わる。
夢の後始末は忘却のなかに消えて行くものかも知れません。
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