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オアシスを見つけて。
夜、息を深く吸うと鼻の奥がツンと痛く感じる季節がやっと来た、デンマークにいる親友は来月ママになる、今朝あげていたストーリーには彼女のアパートからの景色でうっすらと雪が積もってた。まだ暑いかな?と思ったけれど、思い切って冬用のコートを引っ張り出したらピッタリの季節になってた。なんて、この文章だって、書き始めたのは11月だった。
去年の夏は嫌になるくらい長かったのに、今年の夏は短かった。アイリストさんには今年は暖冬じゃないらしいですよ、だから気になってたダウン買っちゃおうかなあと言われてそうなのかぁ、今年は暖冬じゃないんだなぁ思ってた10月初旬。
あっという間に寒くなって、ハロウィンが終わると、感謝祭はない、ただただ街がクリスマスに向かっているのを画面上でもすごく感じる。
そうだ、もうすぐで今年が終わるんだ。
今年を振り返るにはまだ早いけれど、振り返るとしたら、今年は悩みが多かった、と言わざる負えない。特に夏は悩みに尽きなかった。夏が年々、苦手で、自分が夏生まれなのか疑ってしまう、だから夏は心を許した人くらいしか出かけたくなくて、仕事もリモートワークというのもあって、基本的に引きこもりだった。今振り返れば、引きこもっているから、悩みから解放されなかったのかもしれない、悩みが多いときは文章を綴る気力がなかった、誰にも見せていない日記ですらも。文章を書くと頭が整理されるのがわかっていたから、整理したくなかったから文章は綴らなかった。
その矢先で10月半ばにパートナーと婚約した。 パートナーと一緒に生活して2年、出会ってからは四年以上の月日が経っていた。婚約してから生活が変わるわけではない、引っ越しをするわけじゃない、新しい生活が始まるわけじゃない。同じマグカップを使って、使いかけのバターを使って、いつもと同じ朝だ。
国際結婚になるから実際いつ結婚できるかは見通しが立っていない、だけど心理的には大きく変わった。それはすごく良かった。良い変化だったし、求めていた変化だった。
私は飼っている犬、ヌードル、そして
パートナーのことを本当に愛しく、safe place だと心から思うようになった。
訳あって、パートナーがアメリカ出張で2週間いないことも相まって、11月の途中から実家にヌードルも連れて帰省して、リモートワークをしていた。高校を卒業して、家を出てから、実家にゆっくり2週間も滞在することはなかったかもしれない。祖母が、お昼ご飯に焼きうどんを作ってくれたり、チャーハンを作ってくれたり、一緒にヌードルに散歩に行ったり、すごく心がヘルシーになった気がする。
消費社会とかヒエラルキーとかそういうのから解放されて、きっとわたしが惹かれるのはこういう生活なんだろうなぁと思った、去年愛媛に行った時に、友達に言われた、ゆあちゃんは絶対関東じゃなくてこういう生活が好きでしょ、という言葉がいまだに離れない。きっと正解だと知ってるからだ。東京のせいにするのはよくないけれど、実家の長期滞在は、高校生の頃の自分の生活をよく思い出すものだった。
先週は弾丸で金曜まで残業して、そのあと深夜便に乗ってグアムに行ってきた。羽田からだと3時間ちょっとの距離、着いた瞬間にむわぁっと湿気を感じで、街にはクリスマスソングが流れてるのに、サングラスとタンクトップは必須だった。夏なのに12月だった。急に決まったグアムだったから行ったことはない国ではあったけれど良くも悪くも期待してなかったのにわたしにとっては金曜の夜から2泊で東京から行けるオアシスだった。円安は確かに痛かったけれどそれ以上に自然と人々の温かさが心地よくて、本当によかった。レンタカーを借りて、北から南まで行けたのがよかった。田舎の方はここはどうやってみんな生計を立てているんだろう、朝ごはんはなにを食べて、どんな生活をしてるんだろうと考えるとワクワクが止まらなかった。道端でニワトリが歩いてたり、人懐こい犬がわたしについて歩いてきたり、蝶も見たことのない種類の蝶が飛んでいて、どう考えても東京タワーが窓から見えるオフィスで働いている自分にとってはオアシスだった。辛いことやどうしようも無くなった時は、有給を一日とって金曜日の深夜便でまたグアムに行こう。夏が恋しくなったらまたグアムに行こう。
足るを知る生活、が最近すごく好きだ。それは日常が充実させてくれるものだからだと思う。あとは、自分の幸せの尺度が変わったからだと思う。気分が上がらない時こそ、水回りを掃除したり、今までは日常ではきちんと手をつけていなかったちょっとした場所、例えば引き出しの中とか、調味料を置いてる棚の中とか、シンクの下とか、そういう見えないところをきちんと掃除をしてみると、心が落ち着く。そんなシンプルなことを知ったのは27歳になってからだった。家にあるものがどこに何があってと把握していて、服はこれを持っていると把握できる分だけにしていきたい、そういう地に足をついた生活にしていきたい。
今描いてることは20代前半の自分が見たらひどくつまんないと思うかもしれない、けれど歳を重ねていくというのは自分が今まで持ててなかった視点や引き出しを手に入れて、今まで見ていた景色なのに、違う景色に見えるようになる、ということなのかなとも思う。
あと一回年内は日記を書けたらいいなと思ってる、ここらが赴くままに更新したり止まったりするけれど、義務だと感じたらしんどくなることも知ってるから。お久しぶり、そしてまたね。
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