愛の後遺症
ミュシャ展に行った。
ミュシャの下書きやスケッチなども展示されていて、あの繊細な絵を描くためのプロセスがきっと全てではないだろうけれど、ほんの少しだけ、見れた。
一度で成功しようと考えない、というかそんなこと不可能だと思う。ミュシャですら、最初は乱雑なスケッチを描いて、研究して、そしてまた下書きを書いて、なぜ私たちは一度道を誤ったり、失敗したり思うようにいかなかっただけで、向いてないだとか、センスがないとか、いろんな言い訳をしてしまうのだろうか、本番は一度失敗してからなのに。
と自分に言い聞かせてた。
私は、一度きりの失敗でもかなり気にしてしまうし引きずってしまうから。
いろんな人に出会うたびに彼を思い出してしまう。彼の人間らしさに。彼が苦悩している姿を何度も思い出す。
別れてから、2ヶ月弱、私は積極的にいろんな人と出会ったと思う。偶発的な出会いもいくつかあったのも否定しない。でも、いろんな人に出会うたびに、彼を思い出してしまう。思い出したくないから他の人と時間を過ごしたいのにね。なんだか、注いでも注いでも底がないコップみたいにずっと満たされない。
けれど、矛盾している気もするけれど、離れてやっぱり離れるべきだったんだな、というか正しかった、という思いも強くなる、矛盾しているけれど、本当にそうなんだよね。
あれ以上彼を支えられなかったし、多分お互い依存していたのかも、わからない。離れることが良いことも、あるんだね。わからないことは全て解明することが正義だとはこれっぽっちも、思わない。でもそれも含めてこれは全部、愛の後遺症かもしれない。
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