29年前の阪神淡路大震災の教訓が このたびの能登半島地震の防災被災に生かされているのだろうか。30年近く経っても進歩しているようには見えないが・・・
阪神淡路大震災から29年。午前5時46分に起きた悲惨な出来事。忘れることができない出来事が、昨日のことのように思い出される。あれから時は流れた。あっ、という間に月日が経った。
今朝も神戸三宮の東公園で鎮魂の灯りをともし黙祷を捧げている映像がテレビから流れていた。その後に、能登半島地震の被災状況や避難者の状況が放映された。
能登半島地震の被災状況がテレビを通じ毎日のように流れている。29年前の阪神淡路大震災の時のことを思い起こしながら、その時から地震対策が何一つ進歩しているようには見えない。何故なんだろう、という思いがこみ上げてくる。あれから30年近くたった現在で、阪神淡路の教訓が生かされた様子が見えてこない。家屋が崩壊し、被災者は地域の体育館や学校、公民館、集会所などに避難する生活を強いられている。
地震直後からライフラインは切断され連絡も取れなくなっている。食料はかろうじて備えのモノでしのいでいるが、能登半島地震でもやはり水不足が問題になっていた。自衛隊や自治体、民間ボランティアの支援が大きな力となって徐々に解消されていってはいるが、もどかしさは否めない。
防災対策など阪神淡路後に最重要課題として国や自治体も取り組んでいるが、すべての地震後のことしか伝わってきていない。地震が発生したあとの避難行動マニュアルは訓練や指導で一部には伝わるが、僻地といわれる農村、漁村地域ではなんの対策も講じられていないのではないか。まして震度7以上の地震に見舞われたら、それらの地域は木造住宅や古い住宅が多いので倒壊は免れない。そうなると数年間の生活が脅かされるのは間違いない。
自然災害の怖さは誰もが分っている。今後、南海トラフ地震が起こると断言している学者が多いなか、大都会を直撃したらどんなに悲惨な状況になるかは誰もが予測できる。
耐震住宅や耐震ビル等の建設など部分的な対応は進んでいるかのように映るが、どんなことがあっても最小限にくい止められる根本的な防災計画があるのか、あれば早急に国を挙げて我々にも伝わるようにしてほしいものである。
地震の発生について、建物やライフライン、避難設備、避難場所、そして避難後の生活などなど子供たちでも理解できるようなシステムの構築が早急に求められる。地震防災として述べたが、これから起こり得る数々の出来事や事態などを想定した国づくりシステムが立ち上がるのを一刻も早く待ち望んでいる。
指をくわえて待っているだけは、もう終わりにしてほしい。また同じことの繰り返しはご免こうむりたい。
阪神淡路大震災、東日本大震災、並びにこの度の能登半島地震でお亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
黙祷
夙川オアシスロードで行われた路上写真展の一コマ(昨年の写真)
リポート/ 渡邉雄二
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