花の終わりの言葉
この季節、赤椿が地面に落ちている光景をよく目にする。
花の命が途絶えたときの言葉として、椿は「おちる」というのはよく耳にする。桜は「ちる」。この表現は誰しもが使う言葉である。では、梅は何というのだろう、というちょっとした好奇心がわいた。
梅は「散りしおれる」と表現された解説を見つけた。梅の古名「好文木」の説明の中で、「中国、晋の武帝が学問に励んでいるときは梅の花が開き、学問を怠るときは散りしおれた」という故事の中で、そのような表現が使われていた。ちなみに牡丹は「くずれる」、沈丁花は「こぼれる」という言葉が使われるようだ。
むかしの著名な俳人や歌人などが俳句や短歌などを詠む際に、花の命の儚さやそのちり姿を表現するのによく使った言葉のようである。それがいまに伝わっている。ちり姿も美しいという比喩なのだろう。
リポート&写真/ 渡邉雄二
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よろしければサポートお願いします。日本の伝統文化に関心を寄せています。若いころに文化圏の異なる地域の方たちとの交流で日本のことをあまりにも知らなかったことに気づかされ、それがきっかけで広く浅く学んでいます。拙いレポートですが、お目に留めていただければ幸です。