きくことについて
おはようございます。
ただいま、久しぶりに電車に揺られながら旧友の元を訪れる道中。今日のことはずっと楽しみにしていたので、また明日書こう。というわけで、初めてiPhoneからぽちぽちと投稿しています。
昨日は大学の先生と、年に一度の会食があった。この先生には、僕が一年生の頃から年度終わりに時間を頂いては、食事に連れて行ってもらっている。
その先生は医者ではなく、まったく分野の異なるところから医療に携わっている方。それが自分にとってはおもしろく、この予定がすっかり毎年の楽しみとなっている。
これまでも色々な話を聞いていたつもりだったけれど、昨日は先生の学生時代や留学時代、彼がどれだけ大変な思いをして困難を乗り越えたのか、そんな話を初めて聞かせてもらうことができた。
「きく(聞く/聴く/訊く/利く)」、という行為に僕は昔からとても興味を抱いている。会社員時代、最初に任された仕事が人事部で面接を担当することだったのも少しは影響しているかもしれない。あの当時、面接を終えるたび「この人は話したいことをすべて話せたのだろうか。自分の聞き方は適切だっただろうか?」ということに頭を悩ませていたことを思い出す。
実際に、面接で目の前の人から話を引き出すのが上手な人というのはいる。それはある程度スキルや経験に依存している部分もあるから、その意味で聞き方というものを上達させることは可能だと思う。
けれど、日頃の場面では目の前の人から特定の情報を引き出す、そんな状況というのもそうそうない訳で。そのようなカジュアルな場面で話を聞く、というときにより大切になるのは、聞く側の人が示す「人との向き合う姿勢」ではないか。もっと言ってしまえば、その人の「あり方」というべきか。
「この人なら話してみようかな」「この人ならばわかってもらえるだろうか」
その人全体から醸し出される空気に安心を感じた時、人はより深い自身のことを語り始めるのではないかと思うのです。実を言うと、これは上に述べた面接という場でさえ、大きくは変わらないと思っている。
自分は出来たら、少なくとも大切な人達にとってはそんな人として在れたらと願う。また、目の前の人がふとした時に自身の物語を語り始めてくれたとき、「あぁ、ありがたいなぁ」なんて思いを抱きながら耳を傾けることにしています。
とりとめのない話になってしまった。今日はこの辺りで。