★それぞれが確かめ、求め。①
「どうもどうも~」
初対面の一言目の軽さに早速頭にきた。こっちは少しだけ緊張してるのに。何なのこいつ。やっぱり、こういうやつがこういう悪いことするんだろうな。
目の前に現れたのは、綺麗にあごひげを生やし、少し体型が引き締まった、「どう?俺イケメンでしょ?」とか言ってそうな男だった。
「どうする?喫茶店でも行く?」
男はキョロキョロと都合の良い店を探し始めた。私はただただ男をにらんだ。…でも、あまり刺激するのも良くないかもしれない。こういう男は何をしてくるかわかったもんじゃない。かと言って、何を話せばいい。言葉が出ない。
「…美香子ちゃん?」
「名前を呼ばないで!」
思わず大きな声が出てしまった。しかも、人通りの多い駅前で。みんなが「喧嘩か?」と私たちを見る。――でも、止まらない。
「なんで私の名前知ってるの!?気持ち悪い!自分が何をしたかわかってるの!?許さないんだから!」
男は冷静だった。人目を気にするそぶりもない。絶対に慣れてる。今回が初めてじゃないな。許さない。許さない。確かめてやる。
「とりあえず、暑いから、日陰行かない?」
男の額からは汗が溢れていた。ただ、これは罪悪感とかそんな汗じゃない。本当に暑いから出てくる、ただの汗っかきの汗だ。なんてやつだ。
でもまあ、確かに暑い。でも、自分から何か提案なんてしたくない。
「こっち来て」
急に男が勝手に歩き出す。
「え、ちょっと」
急いで人混みをかき分けて男を追う。でも男は私がちゃんとついてこれているか、何度も振り返っていた。なんかむかつく。遠いとも、近いとも、何とも言えない距離感を保ちながら私と男は歩いた。
「は~やっぱり日陰はいいね~」
何をのんきに言ってるんだ。駅前の大通りから少し離れたところにある、広い公園に私たちは来た。ニュースの天気コーナー「現場中継」で映ったことがある公園だ。男は木陰のベンチを見つけ、真っ先に座った。私はその隣のもう一つのベンチに座った。同じベンチになんか座りたくない!
「…あ、ちょっとここにいて」
また、男は勝手に歩きだした。勝手なやつめ。現実逃避か?そうはいかない。逃すもんか。絶対に確かめてやる。
男は少し先にある自販機で飲み物を買ってきた。
「お茶とスポドリ、どっちがいい?」
私は答えなかった。
「じゃ、お茶あげる。最初に聞いておけばよかったな~」
男はぐびぐびと飲む。そもそも、スポドリって略し方ダサい。
沈黙が続く。ちゅんちゅんと小鳥の泣き声や、虫の声、子どもの声、公園は賑やかだ。
「あのさ、なんか話そうよ?」
男が私の方を見て言う。男を直視してなくても視界に入っているから、なんとなくわかる。てか、お前がそれを言うか!?
「…まさか娘ちゃんに知られるとはね」
ドキリとした。男から本題に入ってきたことに。もう逃げられない。男も私も。正直怖い。でも何かあったら叫べばいい。…大丈夫。大丈夫。
「あのさ、なんで俺に会おうと思ったの?普通会いたいと思わない気がするんだよね」
…答えなかった。そりゃ、あんたが悪いことしたから。注意しにきた…?
「とりあえず、謝らないといけないよね。…ごめん」
――頭にきた。
「ごめん!?ごめんなさいでしょ!子どもだからってバカにしてんの!?」
また、声が大きくなってしまった。今回は、広い公園、色んな声の中にうまく紛れ込んでくれたからよかったけど。
「バカにしてないよ。ごめんごめん」
男は少し慌てていた。
「いや、娘と会うって初めてだからさ。どうしていいかわからないとこがあってさ」
「大人なくせに!」
男はペットボトルを開けて一口飲んだ。
「うん。大人だよね。大人だからめんどくさいんだよ」
何言ってんのこいつ?
「――約束、守ってくれてありがとうね」
なんて答えていいかわからない。
「…そりゃ、守るよ。お母さんに言えるわけないじゃん」
「うん。由奈さん、知ったら落ち込むもんな」
――「由奈さん」。私の知らない「お母さんと男」の世界。ああ、本当なんだ。
「娘ちゃんはどうしたい?…お金が欲しい?」
「は???」
「え、違うの?」
「そんな訳ないじゃん!!」
思わず男をにらみつけた。お金とかの発想は全くなかった。いや、そう考えてもおかしくない。でもそう思わなかったは、そう思わなかったのは、私は…私は…。
「そっか。よかった」
男が少し笑う。すごく安心していた。ふと、男と目が合った。
「なんだと思ったの?」
「ん、いや~脅されたりとか、色々とさ」
「…そんなことしないよ」
「うん。ありがとう」
なんでここでお礼を言われなくちゃいけないんだ。
ダメだ。ちゃんと確認しないと。
「…いつからなの?」
「3月12日。婚活アプリで知り合った」
男は即答した。3月12日、なんでそこまで覚えてるんだ。その日、私は何をしてたかな…。なんか気持ち悪い。私が知らないところで、お母さんが「女」になっていたと思うと。
「初めて会ったのは4月12日。出会って、1ヵ月記念ってことで俺から誘った」
「え、付き合ってもないのに、1ヵ月記念?…気持ち悪い」
「はは、そうだよな。でも、なかなか会ってもらえなくてさ。俺、肉食系じゃないし、そういうきっかけがないと誘えないんだよ」
男は少し照れくさそうだった。悪いことしてるくせに。
――「なかなか会ってもらえなくてさ」って言葉がしばらく頭から抜けなかった。お母さん…。
「悪いと思わないの?」
そういうやつ=絶対悪って思ってる。
「うん、悪いと思うよ。ま、でもしょうがないかなって」
「は!?なんで?」
男が初めて何も答えなかった。じっと地面を見つめて。そんな態度取られたら、こっちはどうしていいかわからないじゃんか。
「…そういう運命なのかなって」
「知らないよ!あんたの運命なんて!こっちを巻き込むな!」
やっぱりむかつく!
「…そうだよな。ほんと、何やってんだか」
男のテンションがどんどん下がっていく。…演技か?騙されないから。
「ほんとだよ!こっちはこっちで…」
思わず言葉を止めた。これ以上はこいつに言うことじゃない。
「…続けるね。アプリのプロフィールには、娘が一人いるってことは書いてあった」
…え。
「4月12日、初めて会ったとき、旦那がいることを知らされた」
「お母さんが悪いっていうの!???」
やめろ!お母さんを悪く言うな!!!!
「いや、プロフィール時点からそんな気がしてた。シングルマザーとか書いてなかったし。それに、由奈さん、俺に会ってもなんか喜びに影があるというか…」
ああ。お母さん、どうして。どうして不倫なんてしたの。
「お母さんは、悪くない」
「うん、悪くない。俺がそこで関係を断ち切るべきだった」
「ほんとだよ!バカ!」
ヤバい。怒らしたかと、一瞬ドキリとした。目の前にいるのは、罪悪感で大人しくなっていても、立派な男だ。力は私以上にある。
「はは。バカだよ。で、その後はまだ連絡先は交換しないで、アプリの中で会話してた」
男が笑ってくれてよかった…。
「…俺から連絡先を求めた」
「なんで!?やめてよ!」
「う~ん、まあ、知りたかったから」
「…お母さん教えちゃったんだ」
バカなお母さん。何てことしてんの。
「ま、俺から聞いたし、断れなかったんじゃない?」
なんでお母さんをフォローするんだろ。お母さんも男もどっちも、なんなんだ。
「ま、俺たちはそんな感じ。…娘ちゃんは?いつから?」
…。そう、今日こうなったのも、全ては私が二人のことを見抜いてしまったから。気づいてしまったから。
「いつかは覚えてないけど、お母さんがいつも以上にスマホ見てるし、嬉しそうというか、わかんないけど、変な感じで…」
「嬉しそうだったんだ」
男は嬉しそうだった。なんでこいつを喜ばせなきゃいけないんだ。
「真実は知らないよ?嫌がってたかもしれないし」
「それで、…跡をつけたと」
ドクン!心臓が高鳴った。
「…そりゃ、そうでしょ。ふ、不倫は良くないことだもん」
お母さんが不倫をしてるなんて信じたくなかった。不倫をしてることがお父さんに知られたら、家族は終わる。だから、確かめなきゃいけなかった。私は。
「何回は、普通の買い物の時もあった。で、…3回見た」
思い出す。忘れたい。忘れたい。でも、確かめないといけない。
「…」
男はまた黙った。そりゃ、気まずいだろう。
「…多分あれは2回目だよね。そして、3回目の時、由奈さんと別れた後声をかけてきた」
そう、2回目の時、あれを見た瞬間、全身鳥肌がたった。我が家の崩壊が目に見えた。だからこそ、急がなくちゃ。急いで…。
「娘ちゃんもなかなか勇気がいることするよね。俺に声をかけるなんてさ」
「あんたに言われたくない。こっちは、必死なの!」
何も知らないくせに!お母さんを誘惑して、家族をめちゃくちゃにしようとして!
「…でも、こうして会えてよかったのかもしれない」
「は?」
「……俺も聞きたいことがあるんだ」
「何?」
男はだんまりとした。何?何なの?
「…ねえ。…由奈さんも、…娘ちゃんも、…その、――…お父さんから何かされてない?」
「え…」
心に風が通り抜けた感覚。体がふわっと浮いた。
「そっか。やっぱりそうか」
「なんで…」
混乱する私を置いて男は話を続けた。
「そんな気がしてた。あの日、2回目に娘ちゃんが俺たちを見た日なんだけど、俺たちはホテルに入ってないよ」
「え?」
男が話を続けてくれて、ある意味良かったかもしれない。
「いや、正確には入り口は入ったんだけど、えーっと、その、どこまで話していいか。うーん、と、とにかくしばらくして外に出たんだ」
男は一呼吸おく。
「ホテルに誘ったのは由奈さんだった」
「やめて!そんな訳ないでしょ!」
「聞いて!」
初めて男が私の声をさえぎった。途端にとてつもない恐怖にかられる。
「あ、ごめんごめん。大丈夫だから」
私の表情を見て、男は必死に謝ってきた。こいつは我が家のことを知っている。その事実をまだ呑み込めないし、ドキドキが止まらない。弱音をつかまれたのは私。不倫がお父さんにバレたら我が家は終わる。いや、正確には終わりの始まりであって、終わることは無い。
「多分確かめたかったんだと思う。俺はその前から、なんとなく由奈さん家のこと疑ってたから、余計にそう思えた。自分に必死というか。だから、俺もついて行った感じ。でも、入り口に入る前から凄く緊張していて、結局入った後泣き出しちゃったんだ」
……。
「だから俺は言ったんだ。今じゃなくてもいいんじゃない?って。それでその日は終わり。――でも、やっぱりそうか。それで色々納得がいくよ。…大丈夫?場所変える?もうやめて、今日は帰る?」
男の前にいる私がどんな表情をしているのかなんて、自分でもわからない。お母さんの気持ちもわからない。みんな何なの。
「お父さんに言うの?」
地雷を踏んだような質問。
「言わないよ。言えるわけないでしょ。体調大丈夫?」
「お前のせいで、我が家がめちゃくちゃになる!」
泣きそうになった。でもこんな奴の前で泣くもんか。我が家のバランスが崩れていく。
「うん、ごめんよ。でも、さっきも言ったけど、俺、不倫しちゃう運命なのかなって」
「知らないよそんなの。ちゃんとプロフィール見なよ!」
「うん、そうなんだよね。うん、そうなんだけど、、」
男が黙る。何か隠してる?
「私も話したんだから、あんたも言って!」
男は意を決して、小さな声で話し始めた。
「…うん、俺さ、子どもつくれない体なんだよね」
「え?」
予想外の言葉だった。
「ちょっと難しい話でごめんよ。あと、聞きたくない内容だよね。娘ちゃん若いし、セクハラになっちゃうかな」
「子ども扱いするな。子どものつくり方ぐらいで恥ずかしがるか!って、不妊のこと知ってるけど、男にも理由があるの?」
「あるよ。一般的には女性側が不妊理由に思われがちだけど、男にも不妊理由あるよ」
「それと不倫の関係ないじゃん」
「うん、不倫はダメだよね。でも、子ども欲しくてさ。だから子持ちの女性を探しちゃうんだ」
子ども欲しいんだ。意外。
「そうするとさ、ちゃんと独身の人もいるけど、みんな旦那さんに不満があるんだろうね。隠して婚活してる人多いんだよ。ま、遊び目的か真剣なのかわかんないけどね」
そこから男は顔が真剣になった。
「でも、由奈さんは違った。確かめたかったんだと思う。それに、俺が子どもをつくれない体って知ってても、俺を選んでくれた」
男は空を見た。
「嬉しかったな~。そうそう、デートの時、娘ちゃんのことを聞いた時が一番楽しそうに話してたよ」
「なんで私の話すんの!?」
不倫しといて、子どもの話!?意味わかんないんだけど!
「そりゃ、俺が子どものこと知りたかったから」
男は少し照れくさそうに言った。
「…」
何も言えなかった。…お母さん。
「さっきも言ったけど、こういう形で先に会うとは思わなかったけどね」
「でも、不倫じゃダメじゃん。何喜んでんの」
「…うん。本当にそうだね、ごめん」
「謝ってばかり」
なんでだろう。むかついた。
「そうだね…」
男は気まずそうにして、ペットボトルの最後の一口を飲み干した。
また変な沈黙が続いた。もう、確かめることが無い。この沈黙どうしよう。
「あ、そうそう」
男がスマホを取り出した。
「やっぱり、由奈さんには俺の連絡先消すように言う。それで、アプリの中で連絡する」
「どうでもいいよ。まだ連絡するつもりなの?」
呆れた。不倫がバレたのにまだ続けるのか。それとも、不倫してることを武器に、私たちを後で脅して、これからも続けるのか?わからない。
「あと、娘ちゃん、はい。これ」
見ると男の連絡先だった。
「え!?」
「いや、一応、その、なんとなく。えっとダメかな?」
男は私の反応に納得しつつも、連絡先を交換したがっていた。こんな時どうしていいかわからない。でも、そっちが脅すつもりなら、こっちも連絡先知っておいた方がいい。今後また会うかもしれないし。
「ありがとう!」
男はにっこりと笑った。少し安心したような表情にも見えた。
「私の連絡先は教えないから!」
「え、あ…うん。いいよ。何かあったら連絡してね」
誰が交換するもんか!
「じゃあ、今日は帰ろか」
は!?なんであんたから提案するわけ!?
「え、他に何かあった?」
私の表情を見て男は焦り始めた。そりゃ、もう話すことないけど。…話すことあるかな。今は思い浮かばない。
「いいよ。私、帰る」
「うん。今日はありがとうね。またね」
私はさっさと男に背を向け歩き出した。後ろからつけられてないか振り向きたかったけど、勇気が出なくて出来なかった。
今日確かめたこと。やっぱり、お母さんは不倫してた。ホテルには行ってなくて。私のこと隠してなくて。それから、男は弱気で、子どもがつくれない体で。我が家のことを知られちゃって。それから、それから…。私は何を確かめに来たんだろう。男の言う通りお金でも貰えばよかったのかな。
私、何してんだろ。
どうしてか、男に「もうお母さんと会わないで!」って言えなかった。
私、どうしたいの。
――続く――