9月28日

どうせ誰かがいなくてもまわるんだから、僕がいなくたってもこの小さなゆりかごは揺れる。
狭い世界、狭い視野の中で堕落するばかり。

少年性を持つ大人というのは不可思議な存在だった。
だった、というより、今もまだ理解できずにいる。
それに憧れることは時々あるけど、そうなろうと行動に移すことをしない脆弱な精神はことあるごとに言い訳をして塵に還す。
いつまで経っても幼稚な子供のまま。追うこともせず置いて行かれることに何も感じないままでいいのかな、と考えることもあるけど、今日も自分に都合の良い言い訳御託を並べて惰性で生きる。
少年性を持ち続けることと、いつまでも子供っぽく幼稚でいることの違いを教えてもらったとき、何を考えてたのか、もう忘れた。ただ、とても響いた。
少年性を持ち続けるよりも、もっとずっとインスタントなものを探している。本物になれなくていいから、コピー商品くらいにはなりたい気がする。
誰かと話していて、誰かと比べて、惨めだと思うことは別にない。けども、自分を憐れむことはよくある。この体、この精神性が僕じゃなければもう少しマシな生き方をできていたのではないかと、今すぐ僕ではない誰かに譲ってあげたい、と。僕が可哀想というより、このガワが可哀想だなぁ、なんて思うことが最近増えた。いらないだろうけど。

生きていて楽しいと思うことは別にない。だからといって別に死にたい訳でもない。死んだ方がマシと思うことは多々あるけども、まだ許されないみたい。
無職であることに対してなんの絶望もないし、なるようになるだろうし、多分このまま無職を続けていく上で悲観することもない。このまま無職だと凄惨な未来が待ってるよ、と言われてもそれはそれで仕方がないと思う。楽な方向に流されているし、楽な方向に自ら流れてる。
ここは笑った方がいいな、と思えば笑う。なんとも思ってない。別に面白くもなんともない。虚無が覆い尽くしていて、ずっと虚しい。何かにのめり込めるほどの気力が自分にあるのだろうか、と考えたとき、答えは出てこなかった。なにもわからないし、なにもわかろうとしていないのかもしれない。

学生時代、「他者を思いやれる人間になりなさい」と言われた。自分すら思いやれないし、自分すら理解できないのにどうすれば他者を理解できるようになるのだろう。ずっと葛藤してる。なりたい、けど、なりたくない。
自分を譲渡したい、けど、自分自身がいなくなるのはとても嫌な気がする。
責任も思考も放棄したい。中途半端に人間を演じる案山子。誰かがいないと生きていけないのに、拒絶する。踏み込まないでほしいとすら思う聖域。
ずっと何かを演じ続ける。何かが何かはわからない。自分自身すら理解できない僕にとって、他者はもっと理解できない。だからか、いつもちょっと困った顔で笑うことしかできない。
他者の愚痴を聞いたり、話を聞いたりして、意見を求められれば言葉を作るけども、しっくりこない。別に何かを伝えたいと思ってないからだと思う。
今だってそう。たまに荒れる精神を宥めるためだけに文字を打ち込んでる。赤ん坊ですら意味があって泣いているのに、意味もなく流れる涙が鬱陶しい。感情は凪いでいるのに、不純物の結晶が溶けて流れ出てくる。
笑って、泣いて、怒って、本当はそこに意味が必要なのに。僕には意味がなんもない。心が心を蝕む。自分で蝕む。自爆。

現実から逃げるために、何度も手を黒くした。
針を刺した分、錠剤を噛み砕いた分、液体を流し込んだ分、煙を吸い込み吐き出した分、自己嫌悪する。その自己嫌悪から逃げ出すためにまた沢山の罪を摂取する。願った分だけ溶けて消えていく正常な精神。
現実から目を背け、地に足付けず浮き足立つ。
正常を失い、異常に求めた救いを与えるマリア様は存在しない。マリア様の傍を僕が離れた。マリア様を僕が殺した。
現実を無情にしたのは僕自身。深く呼吸することにすら煙に頼る人間の失敗作。優しい自殺を何度も繰り返す。

沢山の後悔と、沢山の反省、無駄に見えて無駄じゃないらしい。後悔の分、強くなることはできなかった。相変わらず弱いまんま。濡れた顔ではチカラは出ない。

水面に浮かぶ美しい花になりたかった。過去形。
まだ芽吹かない花は、枯れ腐り土くれへ還る。種をまいてくれた人に申し訳ない。栄養もお水もあげれず、薬局で買ったあまったるい瓶チューハイをジャバジャバ乱雑にブチ撒けただけ。

綺麗すぎる水の中で生きられなかった。
様々な負に汚染された液体の中、目をとじて、少しずつ浮上できないよう呼吸を止めて沈んでいく。淀んだ水の中、ゴミだらけで腐敗した汚水に身を任せる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?