金木犀の咲く頃に 前編

「葵ちゃんみたいな笑顔のことを、花笑みっていうんだよ」
 葵が伯母の家に遊びに行った時、いとこの千穂にそう言われたことがある。
 小さい頃はもっとよく笑っていた気がする。だが小学校高学年になった頃から、笑うとその場が一瞬しんとするようになった。そんな時、葵は自分がヘンな顔になっているのかと気にしてすんっと真顔になった。
 中学生の時、そんなに仲のいいわけでもない同級生からすれ違いざまに「なんかもう笑顔がすごいんだけど」と言われたことがあり、(笑顔がすごいとは?)と考えていた時に花笑みの話をされたのだった。
 だがその頃にはもう葵は学校で笑えなくなっていた。笑うのは家族や伯母たち親戚の前だけで、その日も千穂や千穂の弟で同い年の悠大(ゆうだい)と話している時に悠大の軽口に久しぶりに大声で笑っていた。
「笑顔の漏電」
 ぼそっと呟く悠大がまたおかしくて、葵はひとしきり笑った。
「こいつ学校じゃ全然笑わねーから」
「葵ちゃんは誰か好きな人はいないの?」
 千穂にそう言われて、葵は思わず笑顔になった。
「心の声ダダもれ」
「ちょっと悠大黙って! え、前に言ってた一つ上の先輩?」
 葵と悠大は同じ高校に通っていた。葵はテニス部に所属していたが、ひとつ年上でやはり同じテニス部の高梨颯太(そうた)と先月からつきあうようになっていた。
 話を聞いてはしゃぐ千穂に、悠大は、
「でも全然楽しそうじゃねーんだもん。高梨先輩と一緒にいるの見かけたけど、笑ってないし、話してても業務連絡かってくらい真顔なの」
 そう言って葵を落ち込ませた。千穂は、言い過ぎ、と悠大を制して、
「好きな人を前にしたら緊張するよね。しょうがないよ。ね、葵ちゃん、笑って」
 ぺかっと葵が笑うと、
「んもう、かわいいが過ぎる! その笑顔を先輩に見せたらいいんだよ」
 千穂はそう言って葵を抱きしめた。

つづく

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