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はじまりの 後編
「本当に送らなくて平気?」
ビルの正面玄関まで来たところで万里がもう一度匠に聞いたが、匠は、大丈夫です、と言って小さく頭を下げた。
顔を上げて陸を見つめるまなざしには午前中に初めて顔を合わせた時のようなそっけなさはなく、親しみがこもっていて、陸は少し戸惑った。
オーディションが終わり、時刻はもう午後2時をまわっていた。結果は後日事務所に伝えられるということだった。
万里と陸は匠と別れて、ビルの裏にある駐車場へと向かった。車に乗り込み敷地の外へ出て、ぐるりと大通りへ出た時、ちょうど匠が敷地を出て行くところだった。バッグを肩に下げて、振り返ってビルを見上げている。
そんな顔すんなよ。おれがこんな茶番はこれきりだと、もうおわりにしようと思っていた今日が、おまえにとってははじまりの日なんだな。
陸は後ろの席でシートに深く身を沈めた。
運転席では万里が声を弾ませて言った。
「陸君、すごくよかった。最後のお題の時、思わずもらい泣きしちゃった。最近元気なさそうに見えてたけど、そんなに今回の役やりたかった?」
「いつだってやる気満々ですけど」
陸の軽口に万里が吹き出す。
「匠君も最後まで残ったし、藤堂さんに報告したらきっと喜ぶわ」
藤堂さんというのは事務所の社長だ。
「ね。これから忙しくなるよ、陸君」
受かるんだなおれは。万里の口ぶりで陸はそう思った。
もう少し続けてみようか。
陸はさっき見た匠の横顔を思い浮かべた。
おまえがあんなふうに見つめる何かが、この役者の世界にあるんだな。
見てみたい、と陸は思った。
演技で泣いたせいか眠くなってきた。万里の声を遠くに聞きながら、陸は目を閉じた。
おわり