自己紹介ってやつ!
そういえば…自己紹介ってやつをしていないことに気づきました。笑
2020年に7年ほど勤めていた会社を辞め、フリーランスになりました!
それまでの自分は、重度の精神疾患だった上、自分の性自認を隠してずっと生きていました。
精神疾患を乗り越え、性自認をカミングアウトできたのは2020年。
自分らしく生きられるようになって、「人生って楽しいな」って思えるようになったのもここからなので、実質4歳くらいです。笑。
そんなお話をしていきます。長いです。めちゃくちゃ。
心が壊れた時のこと
会社勤めをしていた時に、突然パニックになりました。
最初は自覚がなくて、あとから気づく感じ。
大人なのに仕事中に涙が止まらなくなってしまって、目の前が真っ暗、チカチカする感じ。
窓がない閉鎖的な少し暗い場所で仕事をしていたのですが、そういうのもよくなかったのか、今でもその場所に行くと気持ち悪くなったり、動悸がします。
パニック障害を発症した場所から異動させてもらったものの、いろんなことが重なり鬱をはじめ、次々に疾患を併発しました。
というか、多分、今までずーっと我慢できていて、その我慢の許容がオーバーした感じ。
ダムが決壊したみたいに今までできていたことができなくなって、全部怖くてうるさくて眩しくて涙が止まらない。
そんな毎日でした。1時間おきくらいに波が来て、その場にいられなくなり、トイレの個室でうずくまり、頭を抱えていないと怖くて仕方ない。
「心が壊れる」ってこういうことだな。っていうのを実感した。
もう生きている意味がわからなくなっていた。楽しいって何だろう。って感じだった。
頑張れない自分はダメなやつ。
身体が動かないのはただの甘え。
できない自分を追い込み、責めて、もう何もわからない感じ。
今まで結構なストレスも耐えられていたから自分の心が壊れるとは思わなかった。
病院の診断書に「重篤」と書かれたのは、なかなか衝撃だった。
病気と付き合って2年くらい、仕事を続けるのが難しいと思い 、薦めもあってフリーランスになることを決意。
会社を辞めてから出会ったメンターに支えてもらいながら精神疾患を克服しました。
2020年の12月で鬱をやめると決め、心の整理の仕方を教えてもらった。
思考の癖とか、どう考えるのかとか、発作が出たらどうするかとか。
何回も何回も自分と向き合った。
正直「完治」というのはない気がしていて、
「どう付き合うか」
「どうやって自分を認めてあげられるか」
そんな感じがしています。
考えすぎなくらい、考えるようになった。
行動に極端にブレーキがかかるようになった。
今でもくる心の波。
人よりも感じ取りやすいからこそ、 この経験や、思いは撮影者として、表現者として 必ず無駄にはならない。
そう信じて、写真に込めながら撮影しています。
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トランスジェンダーというボクの個性
ボクは身体は女性、心は男性。
男性として女性を好きになるトランスジェンダーです。
公表してるのは特別扱いしてほしいからではなく、ただの「個性」だと思ってもらいたいから。
自分の性別に違和感を感じ始めたのは、小学3年生くらい。
自分が子供の頃はまだ「トランスジェンダー」という言葉が一般的ではなかったので、そういう性自認があることも理解してませんでした。
「自分が変だから、普通でいなければいけない」
という気持ちがとにかく強かった。
男でも女でもない、何にも当てはまらないことを悩んでいたけど誰かに言おうとも思わなかったし、言える人もいなかった気がします。
まあ、周りは薄々気づいていました。そういうものですよね。笑
カミングアウトしようと思ったのは自分を隠すことなく、自分らしく生きていきたいと思ったから。
女の子だからスカートを履かなきゃ、女の子だから髪を伸ばさなきゃ、女の子だから女の子らしくしなきゃ。
とずっとずっと思っていた。
着たい服を着て、好きな髪型にしたい。
そんな当たり前なことが自分には当たり前にできなかった。
カミングアウトは心の病気の真っ只中、2020年の3月。びっくりするくらい周りはすんなり受け入れてくれました。本当にびっくりした。
自分の性を自覚してから、カミングアウトまで約20年くらい。
隠すのが普通だったから今でも普段の一人称は「わたし」
他にも色々隠すクセがついている。
でも、好きに生きられることって、こんなに人生が楽しくなるんだと知って、きっとこれも心によかったんだと思います。
自分はずっと自分を隠して生きてきた。
けど、今は多様化というやつ進んで、もう少し生きやすくなっているんじゃないかなぁと思います。
制服も、女の子だからスカート。男の子だからズボン。ってなくなりつつありますしね。
自分は、LGBTQや、セクシャルマイノリティという言葉で括るのが好きでなくて、あまり使わないようにしています。
ただの「個性」で左利きであることと同じくらい取り止めもないことであってほしい。
ホントにこのセクシャルマイノリティに分類される中でもたくさんの性自認があって、当事者だってちゃんと理解しきれていないこと。
ただ世の中にはまだまだ自分の性自認を隠して生きている人もいる。
「理解してもらえない」という生きづらさを抱えている人もいる。
だから特に隠すことなく、「自分らしく生きる」を体現したいと思っています。
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写真と自分
写真は自分の一部で切り離せないもの。
自分は割と子供の頃から劣等感…というか、自己肯定感が低い人間だった。
でも「いちばん」になりたい思いがすごく強かった。
子供の頃はそう思っていたけど、「いちばん」というか、「自分にしかできない何か」を探してたんだと思う。
いじめにあって、いろんな挫折をしたり、
好きだった絵に限界を感じたり、
「人と同じは嫌だ」と思いながら、 「普通でいなきゃ」と思ったり。
なにをするにも中途半端な自分。
そんな中でが出逢った写真。
最初は趣味で、風景を撮るだけだった。大学ではデザインを勉強していたから、写真を始めたのは大人になってから。
前職は写真業をしていたけど、管理職だったから特段写真の知識が必要なわけではなかった。
自分の中での「写真」が譲れないものになったのはフリーランスで写真を始めてから。
「撮る」ということ、「写す」ということ、その人と向き合うということ。
それがどういうことか、どうするのか、どう表現するのかが少しずつ理解できるようになった。
自分にしか撮れない瞬間
自分にしか撮れない表情
自分にしか出せない色
全部が世界でたった1枚。
そしてそれは誰かの一生の宝物になるかもしれない。
写真を撮る仕事ってそういうこと。
誰かに一生の宝物をあげることができるなんて そんなの最高すぎる。
何気ない日常
大切な日
かけがえのない瞬間
自分を知る
自分を伝える
撮影者として「写真に残すこと」その大切さを知って欲しくて撮っている。
表現者として自分の思いを伝えたくて撮っている。
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さいごに
写真を始めたのも、自分らしく生きようと思えたのも、 いろんなことが人よりも遅いスタートでした。
でも今は、自分だから撮れる写真と自分だから作れる作品を創っています。
ボクは透明感があって繊細な写真も、カラフルで力強い写真も撮ります。
陰と陽、月と太陽みたいに正反対だけど どちらも好きで、どちらも自分の大切な表現。
どんな自分でもいいし、何を好きになってもいい。
心の病気も、自分の個性も、全部ひっくるめて そう思えるようになった。
撮ってほしいと思ってくれたその人にいちばん合う、 その人が「宝物」と思ってもらえる、 「写真っていいな」って思ってもらえるような 撮影をしています。
自己紹介がめちゃくちゃ長くなってもうて、読んでくれる方いらっしゃるのかな…なんて思いながらも、自分にとって大切なことなので書きました!
自己紹介というより、後半は自分にとっての「写真」みたいな話になっているけど、写真は自分がいる意味みたいなものなので、まぁいっか!
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!