「この小説にニンジャは出てきません」


 表紙にその注意書きがあることを確認してから、その本を貸し出しカゴに入れた。今時、わざわざこんなものを読む人間は少ない。
 それでも書くやつがいて、読むやつがいる。だから、こうして図書館に専用のコーナーまで設けられているというわけだ。

 サプライズニンジャというジャンルが確立され、瞬く間に世間の支持を受け、世界中のエンターテインメントを席巻するのにそう時間はかからなかった。
 今ではハリウッドの最新作にもとつぜんニンジャが現れて、ヒーローと悪人を区別なく殺す。時にはヒーローもニンジャだったことが発覚し、ヒロインと親友を巻き込んで戦い、スリケンが、ジツが飛び交い、そして最後には全員が死んでエンドロールとなる。END OF MEXICO…その定型句の意味をまともに把握している人間はもう生き残っていない。メキシコという国さえ。

 私は休日になるたび図書館を訪れ、こうして密やかに息衝いている純文学を…いまやニンジャという無形の脅威にさらされる言葉のエンターテインメントを、さながら熟した果実の更に甘いところだけをついばむ悪賢い鴉のように品定めし、ひとつひとつカゴに入れていく。それを一週間のうちにゆっくりと読み切り、また図書館へ足を運ぶのだ。

 もはや顔見知りとなった受付の女が、俯きながらこちらへ視線を送ってくる。物珍しいという態度を隠そうともせず、同時に微かな期待……いや、希望だろうか、そうした、滅びゆく世界にさした光明へ必死に取り縋るような、そんな淡い熱を帯びた眼と、ほんのわずかな畏れを秘めた表情で。
 私はそれを浴びて邪悪な供物を得た悪魔のように活気づき、もはや踊るような足取りで書架の間をめぐる。ここは小さな楽園だ。どの本を取り出しても、その表紙には明朝体やゴシック体の、威嚇するような太い文字で書かれたシールが貼られている。
「この小説にニンジャは出てきません」
 私は小さく声に出し、ますますの高揚を覚えた。そうだ。ここは砂漠のオアシス、暗雲から覗く三日月、未だ蛇に見つかっていないエデンなのだ。街で一番の図書館は広大だが、この僅かなスペースだけが私に安息をもたらしてくれる。
 小さな貸し出しカゴの中はあっという間に七冊の本で埋まった。「死してなお苦痛」「凍てつく世界」「救出任務」「隣のフスマは静か」……そうしたタイトルから読み取ることはできなくとも、この本たちは他と決定的に違うのだ。

 ニンジャが出てこないのだ。それを思うたび、まるで自分自身が世界へ反逆の狼煙を掲げているかのような震えを覚える。誰もがサプライズ・ニンジャ・エンターテインメントを湯水のごとく摂取するのに引き換え、この選ばれた小さな希望の輝きを手にする者がごくごく僅かながら存在しているという、この事実……私がこうしたニンジャレス小説を好む理由は単純な嗜好の問題のみならず、そのような言い知れぬ高揚にこそあるのかも知れなかった。
「閉館30分前です」
 そのアナウンスが流れるまで、私は生を謳歌するマグロのように書架の周りをぐるぐると歩き回っていた。

 意気揚々と貸し出しカゴを女に渡しつつ、彼女を見つめる私の視線は、彼女が私に向けるものと似通っていただろう。微かな期待のようなもの。物珍しさ。そして、畏れのかわりに自尊と優越がある。
「ありがとうございました」
 彼女の声は少し震える。私が伸ばした手の、滑らかな金属で造られたブレーサーの上に本を置きながら、彼女は決して目を合わそうとしない。
「どうも」
 残念だ。私の唇は笑みに歪んだ。初めて私がニンジャレス小説を借り出した時、彼女は一瞬我を忘れて目を見開き、私を見つめたものだが。あの言い知れぬ悦びを忘れたことはなかった。
「また来ます」
 穏やかにそう言いつつ、私はメンポを引き上げた。歪んだ嘲笑は覆い隠され、自分でも冷酷だと自覚している瞳だけが残る。
 あのニンジャビッグバンによって人口の九割がニンジャとなって以降、私の楽しみは尽きることがない。
「イヤーッ!」
 精神高揚に伴って漲るカラテシャウトと共に図書館を飛び出すと、ニンジャの誰もがそうであるようにコンクリートの森を蹴り渡り、私は帰路についたのだった。

‐終‐

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