二次障害発症の話②

前回の続き

病院に着いた早々、病棟に案内された。

開放病棟の奥にある2重扉の奥にまた病室が5床あった。

どうやら私はそこに入院するらしい。

私はまだ一時保護期間中であったが、中学生ではやはり親権が強く医療保護入院では保護者の同意が必要だった。(平成26年4月の法改正前)

医療保護入院の書類より正直驚いたのは、監視カメラの同意書だった。

同意できるか!!!(# ゚Д゚)

って感じだったけど、

「あなたが同意しないなら親に同意してもらうしか無い」

と言われた。(精神科病院では当たり前か…)

精神疾患を発症するまでは体が頑健すぎて、一度も入院をしたことがないので「入院」の感覚がさっぱり分からなかった。

その上、入院期間は3ヶ月と書かれていた。3ヶ月この生活せねばならないのかと考えるとゾッとした。悪夢だ。

渋々、同意するしかなかったので監視カメラの同意書には私がサインした。

その後、早速暴れ回っていた。

あのときのことを思い出せば恥ずかしい限りだが…

言語化出来ない分、ものを壊すしかなかった(医療保護入院になって当たり前の精神状態)

そして、その分行動規制が強くなるのは当たり前で、部屋からありとあらゆる物が消え、残ったのはベッドだけだった。

おとなしくしとけば良かったのに。と今となっては思う。

つまるところ、医療保護入院の場合、大人しくして、正気の素振りを最低限しておかないと規制がキツくなるだけなのである。

自分でやったことだからしょうがない。

次に私が考えたことは、医療保護入院(病院)から退院(脱走)するにはどうしたら良いか。だった。

「医療保護入院のお知らせ」

が患者に渡されるがそのお知らせを熟読して、精神医療審査会に申し立てを行う。

という発想が思いついた。

可能性は薄いにしても何らかの処遇が変わるのではないかと考えたからだ。

さて、電話しようか!あーケータイ取られたんだった…。

お金はあるから公衆電話で電話するか!

Nsコールを押して、精神医療審査会に申し立てを行いたいから公衆電話を使いたいという話をしたら看護師が驚いて、確認してくるので少し待っててください。と焦り気味にコールを切った。

1時間待っても返事なし…2時間待っても返事なしどういうコッチャやねん

と腹の中では怒りがこみ上げてきていた。

2時間待ったけど未だかかりますか?って聞いたときに改めて返事が来た。

「先生が行動制限をしているのでこのユニットから出すことは出来ません」

 ん?こいつバカなのか?と思った。

「医療保護入院に不服がある場合は、精神医療審査会に電話で申し込みをしていいという権利がこちらにあるはずなのにどうしてダメなの?」

またこの権利は侵害されてはならないのに

「実際問題、ユニットの外にしか公衆電話が無いし、あなたの現状ではこのユニットから出すことは出来ません。」

じゃあ、どうやったら精神医療審査会につながれるんだ。

すごく腹立たしかった。

形だけの権利擁護は要らない。と確信した瞬間であった。

病院の判断が正しいのか逆に患者がおかしいをはっきりさせるための精神医療審査会なのにそこがしっかりしてもらわない困るという現実がある

どうしようかと考えていた矢先に、新しい思春期病棟2号・3号患者が入院してきた。

その方たちと一緒におしゃべりをしていると気が紛れて、精神医療審査会に申請を出そうという思いも消え始めていた。

が、調子が悪くなると物を壊してしまう。

リスクマネジメントがされていなかったのか、蛍光灯が自分で取れる!って気分がすごく上がって、防犯カメラの死角をついて病棟の蛍光灯をテーブルの上にイスを置いてその上に立って、そこから蛍光灯取ってあっちこっちに投げつけて、割れた破片で自傷行為をしてしまう。この日はさすがに身体拘束された。

自業自得である。

管理される立場にある人間は、管理している人の思うような生活をしなくてはならないのだろうか…?

今日は疲れたので…

次回へ続く




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