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中平卓馬とその時代 #43

『中平卓馬 火 - 氾濫』
東京国立近代美術館
2024年3月9日(土)


今日の一枚は、中平卓馬「サーキュレーション - 日付、場所、行為」。


中平卓馬「サーキュレーション - 日付、場所、行為」の一枚 1971年(2012年にプリント) 東京国立近代美術館


水溜まりから飛び散った水のあとが、そこを通った人の痕跡として残されている。痕跡というよりも、残滓というに近い。


中平卓馬「サーキュレーション - 日付、場所、行為」の一部 1971年(2012年にプリント) 東京国立近代美術館


この作品は、第7回パリ青年ビエンナーレで、日々撮影し、現像し、その日のうちに展示した一連の写真からなる。

ドキュメンタリーのスナップショットを見ているようで、その時代の躍動感が伝わってくる。


中平卓馬「夜」の一部 1969年 東京国立近代美術館


「アレ・ブレ・ボケ」は、それまでの写真を否定した革新であったろう。

その後の世代である私にとって、この写真の感じは、どこか馴染みがある。中平卓馬は、私の世代の古典となったのかも知れない。


寺山修司「街に戦場あり(9):新宿のロレンス」『アサヒグラフ』1966年11月11日号 朝日新聞社 個人蔵


寺山修司は学生時代によく読んだ。「戦場」という言葉。この暗い感じ。

中平卓馬の批判的な姿勢。彼はこの時代の人だったのか。


中平卓馬「氾濫」【「15人の写真家」(1974年)出品】の一部 1976年 東京国立近代美術館


1973年に「なぜ、植物図鑑か 中平卓馬映像論集」を出版し、それまでの自己を否定した後も、水溜まりへの眼差しはつづく。


中平卓馬「新たなる凝視」の一枚 1978~1982年頃 中平元氏所蔵


1977年の事故で記憶をなくした後、物事を物事としてとらえる「植物図鑑」的な写真が増えるように思う。


中平卓馬「Adiue a X」の一枚 1983~1989年頃 中平元氏所蔵


後半生の作品には、人を素直にとらえたものが増える。


中平卓馬「Adiue a X」の一枚 1983~1989年頃 中平元氏所蔵


物事を物事としてとらえているからだろうか、中平卓馬の火は、本物の焚き火に見入ってしまうような感覚にさせる。


キリカエ【「キリカエ」展出品作】の一部 2011年 東京国立近代美術館 株式会社コム・デ・ギャルソン寄贈


その眼差しは、水溜まりから、火へと移っていったのだろうか。中平卓馬の火は、とても印象的である。


森山大道 [中平卓馬ポートレイト]【お別れの会(2015年)で配られたプリント】撮影年不詳 個人蔵


写真は、その時代のなかに位置付けて見なければならない、ということであろう。


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