中平卓馬とその時代 #43
『中平卓馬 火 - 氾濫』
東京国立近代美術館
2024年3月9日(土)
今日の一枚は、中平卓馬「サーキュレーション - 日付、場所、行為」。
水溜まりから飛び散った水のあとが、そこを通った人の痕跡として残されている。痕跡というよりも、残滓というに近い。
この作品は、第7回パリ青年ビエンナーレで、日々撮影し、現像し、その日のうちに展示した一連の写真からなる。
ドキュメンタリーのスナップショットを見ているようで、その時代の躍動感が伝わってくる。
「アレ・ブレ・ボケ」は、それまでの写真を否定した革新であったろう。
その後の世代である私にとって、この写真の感じは、どこか馴染みがある。中平卓馬は、私の世代の古典となったのかも知れない。
寺山修司は学生時代によく読んだ。「戦場」という言葉。この暗い感じ。
中平卓馬の批判的な姿勢。彼はこの時代の人だったのか。
1973年に「なぜ、植物図鑑か 中平卓馬映像論集」を出版し、それまでの自己を否定した後も、水溜まりへの眼差しはつづく。
1977年の事故で記憶をなくした後、物事を物事としてとらえる「植物図鑑」的な写真が増えるように思う。
後半生の作品には、人を素直にとらえたものが増える。
物事を物事としてとらえているからだろうか、中平卓馬の火は、本物の焚き火に見入ってしまうような感覚にさせる。
その眼差しは、水溜まりから、火へと移っていったのだろうか。中平卓馬の火は、とても印象的である。
写真は、その時代のなかに位置付けて見なければならない、ということであろう。