友達と御神籤とプッチーニ。
大学生活はずっと独りだったけど、四年生になるころから一気に友人が増えた。性格も外見もいい感じに丸くなったんだと思う。
色んな人と関わって、色んな苦難を越えてきて、今は会いたい人が沢山いる。
ひとり遊びの方が楽しいとか、友達が欲しいとか、ボッチ大学生とかずっと言ってたのに信じられないことだ。
友達が増えると、世の中が広いことに気付いた。
色んな肌の色の人がいるし、髪型だって十人十色だし、色んなファッションの人がいるし、色んな方言の人がいるし、自炊してる人がいればママのご飯食べてる人もいるし、社畜の人もいるし、ニートもいる。同じ大学の人もいれば、他府県の大学に通ってる人もいる。
趣味だって、スケボーとかゴルフとかサッカーとか競馬とかアクティブな人もいるし、ホスト通いとかネトフリとかアニメとかゲームとかスロットとかインドアな人もいる。
知り合いの知ってる情報を分析して、この人とこの人は同い年だとか、この人とあの人は○○キャンパスの人だとか、あの人は実家暮らししているとか分類していたら、誰がどの趣味だったかあやふやになったし、誰にどこまで自分のことを話したのか分からなくなってしまった。
誰ひとりとして同じ人間なんていなかったんだって実感してる。
少し前まで、私の言葉なんか誰も聞いていないと本気で思っていたけれど、私の言葉を聞いてくれる人がいる。私と話したいと思ってくれる人がいる。今はね!
私の言葉が誰かの耳から脳や心に浸透してその人を変えるかもしれない。
私の頭で考えたことを誰かに共有するのがとても楽しい。私の思ったこととか体験とか、全部が愛しい言葉になって誰かの思考の一部へと溶けていく。
そう考えると、私なんか誰にも影響を与えられないって思ってたけど、世の中を変える力が自分にもあるような気がしてる。
私なんか誰からも好かれてない、まるで水族館の大水槽で誰からも注目されてない小魚みたいな存在だと確信していたけれど、片隅の水槽でふわふわ浮いてるクラゲぐらいにはなれたかもしれない。
気ままに生きようと思う。
こないだ初詣で御神籤を引いたらあんまり良くなかった。
調子に乗りすぎた結果、意外な妨害が出現して不成功になる兆し…みたいなことが書いてあった。よく再考して過ちを改めたら、程なく元通りになるってことも書いてあった。
あまりに抽象的だから困る。
確かに、最近悪いことがあんまり起こらないから、人生イージーすぎるって思ってた。こんな風に調子に乗ってるからこそ、なんか当てはまってる気がしてしまう。
去年の御神籤は、人から恨みを買うとか書かれててあんまり良くない内容だったけど、鈍感さを差し引いても恨まれてるという実感は少ししかなかった。
だからあんまり当てにせず気にせず気ままに過ごそうと思う…。
慎重に。
今日はプッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』を途中まで見た。
ロドルフォとミミが出会う場面があまりにも私の好みで素晴らしかった。何回も戻して2つのアリアを聴いてて、進まなかった。
ろうそくの火を貰いに隣人のミミがロドルフォを訪ねたら、ミミが鍵を落とし、ロドルフォのろうそくも風で消えてしまい、二人で暗闇の中手探りで鍵を探して(ロドルフォは鍵を見付けてそれをズボンに隠した!)、ミミの手を握る。
二人が恋に落ちるのを、こんなに美しいと思ったことはあったかしら。
小説や戯曲、映画やバレエ、歌、漫画で色々な物語を知ってるつもりだったけど。
芸術はまだまだ未知の世界。
美しい芸術と出会えて、その芸術を美しいと思えてよかった。
今日は、これからの何かとの出会いをたくさん大切にしたいと思った。
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