求めていない気遣いは余計なお世話
気を遣うことは、
今までいいことだと思ってた。
いいことだし、気を遣える人になりたいし
気を遣えない人が悪だと思ってた。
でもある人の投稿に、
「気を遣えないから、本音が出せるとか自然体でいられる言ってもらえる」
って書いてあった。
昔先輩にも
「お前は気を遣いすぎこっちが気をつかう」
って言われたなあ。
気を遣うって相手を疲れさせることでもあるのではないか。
気を遣うことは自然体ではない行為なのかな?
気を遣う=相手を大事にしてますよ
というアピールでもあると思うけど、
相手にも気を遣うことを強要してしまったりするのかな。
自分が我慢して相手に譲ろうとする気遣いなら、
それが負担になるよね。
幼稚園のママ友の間でタメ口が距離感を縮めることがある。
私は昔からタメ口で話すことがなぜか嫌いで、
敬語で話すことが正だとなぜか思っていた。
丁寧語って英語では過去形が使われるように、
丁寧な敬語は相手に距離を感じさせるのかな。
タメ口の方が余計な気を遣わないのかな。
「余計な気を遣わない」
がベストなのかも。
最低限の気は遣って、
「余計な気を遣わない」
が人間関係を深くさせるコツなのかな。
そして、先日ある子のママが
娘が鼻水を垂らしていた際、私がティッシュを持っていなくて探していたら
いつのまにか娘の鼻水をふいていてくれた。
その子のママはその前にも、
幼稚園で知らない子がこぼしたお茶をさっとふいていた。
気遣いができて素敵だなーと感じていたのだけど、この気遣いは求めている気遣いなのかなと思った
相手が求めている気遣いは丁度いい気遣い。
求めていない気遣いは余計なお世話なのかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?