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一万円は大人のお金
一万円は大人のお金で、 今でも借り物のような思いしか抱けない。
時折、当時付き合っていた彼女が、お昼を抜いて作業をする私に唇を噛み締めながら、泣きそうになりながら僕に渡した金。
それが大人の金。
それを無言で受け取ってしまって、もうダメかもしれないと思った。
誰かと生きるためには、大人のお金がいるんだ。
フリーになった私には、金の稼ぎ方がわからなかった。
昔、フリーランスの時に、小銭を沢山瓶にためていた。
いざというときに使おうと。
10円玉ばかりと、たまに50円玉。
稀に100円
いざという時に使おうと思っていたのに、それでも、一万円にはならなかったという。
たくさんの10円玉をポケットが膨らむくらいに詰め込んで、自動販売機に向かう深夜。
たくさんの10円玉を、自販機に投入して、100円玉に変える。
恥ずかしくて大量の10円玉を使うことができなかった。
人気のない夜に、自販機で100円玉を手にして、コンビニへ向かう。
カップラーメンを泣きながら啜って、眠れぬまま、絶望の一歩手前。
白々と開ける夜明けを感じながら、向かった神社。
たった5円でさえなけなしのお賽銭。
カチャンと乾いた音で放り込む。
この世の中に私が必要ならば、このままデザイナーを続けさせてください。
それ以外なら生きていく価値はない。
そんな無謀なことを願った。
デザイナー以外で生きる道なんか考えなかった。
どうやってそこから生きのびてきたかよくわからない。
今では、多分、沢山の大人の人から助けてもらって生きてきたんだと最近になって思う。
財布の中に一万円をこっそりと入れて、後輩たちの話を聞きにいく。
お祝いの品を選びにいく。
日常を続けていくためのささやかな余裕が、この一万円という金額。
誰かと繋がったり、助けたりする思いがこの金額に乗っている。
そして、多分、まだ、世の中に必要とされているし、助けてもらった一万円は、全部返しきれていないんだなと思う。