(サムネイル画像出典:UnsplashのTeemu Paananenが撮影した写真)
※本記事は一般人の独り言です。詳しい人が読むと私の考えの欠陥にすぐ気付かれることでしょう。ご容赦ください。
前置きとして、タイトルは盲目的ですがそんなこともない現象もあると思っています。そんなに単純なら研究者の方々のストレスや負担はより軽減されるはずです。
一方世界の認識にスパイスを加えるという観点から、数式をちょっとでも知っておくと散歩しているときに見る鳥や植物、自分の歩き方、風の感じ方、人の流れなどが興味深く映るのではとも感じました。
フィボナッチ数列を知ったきっかけはこちらのエピソードです。
最近科学系ポッドキャストを聴くようになりました。初心者のために噛み砕いて話していらっしゃる番組が多いので、文系ながらなんとなく理解できます。
ChatGPTに聞いても色々な単語がポンポン出てくるので、良い時代になったなあ、としみじみ感じます。それが信憑性のあるものかは別の話ですが…。
以下は一例です。私の発言(🙋♀️)は音声機能を使ってテキトーに喋ったものなので、情報の正確性に問題があります。
さらにこの回答をPerplexityに投げて、🙋♀️「これらについてのYouTubeや記事、Podcastはある?」と聴くとまたいっぱい返してくれました。
特に太字にしたニッセイ基礎研究所の中村 亮一さんの記事「フラクタルは自然界でも多く観測されるって知っていますか-植物や各種の地形にも多くみられる-」が、自然界で観測されるフラクタルの例をシンプルにまとめられていて読みやすかったです。
この枝や海岸線、山の稜線、入道雲、肺、血管にもフラクタルは見られるらしく、うまいことできているなあ〜と感心するばかりです。
このような至る所に存在する自然界の数学的概念やこの世が科学で解き明かすことができるというのは、この世への尊敬や畏怖の念を生じさせ神様への信仰を強める大きな要素にもなると思います。
ですが私はなんだか「神様」というと何でもできてしまう大きな力のようなイメージがあります。そうなるとなぜ無罪の人が殺されるのか病気になるのか、奴隷制というものが生まれてしまうのか、という「神様」にある種責任を求めたくなるような疑問が生まれます。
現実にそのような不条理は存在することから、みんなが言う「神様」はこの世の原理(もしくは原理を生み出した存在)であると解釈することが私にとって現時点で最もしっくりくる定義になりました。
自然現象や人間の愚かな行為などは、原理、つまり自然の法則が発展して結果として至った物事だと理解しています。(将来はこの見方が変わるかもですね)
自分も細胞の電気信号が発火してどうのこうので動いたり知覚したりしている訳ですし…。
最近の考えをまとめたかったのでとりあえず書きました。お読みいただきありがとうございました。