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連載2|分類別ミニマリスト論「神経症型」編

 [序文]

2回目はミニマリスト論「神経症型」編です。

簡単に前回までのおさらいをしますと、ミニマリストには4つの型があり「芸術型」、「神経症型」、「惰性型」、「思想型」に分類できるというお話でした。

「芸術型」のミニマリストとは、モノの少ない空間をインテリアとして好み、自分自身と暮らしそのものに光を当てる人のことでした。
つまり「住」の美意識がミニマリズムの動機となっているわけですね。

ご興味のある方は下記の記事をお読みいただけると励みになります。

連載1|分類別ミニマリスト論「芸術型」編
https://note.com/invertedredtree/n/n9c688861d8b1


以上を踏まえて、さっそく本題に入っていきます。

 [「神経症型」について]


定義:モノの多い部屋が落ち着かない人。


皆さまはすでに語感からお察しだったかと思います。

ごくシンプルな定義です。この型の人たちはミニマリズムの概念を意識せずとも、もともとモノをあまり持っていないことが多いでしょう。かくいう私も、ミニマリストという言葉を知る以前から、極端にモノが少ない生活をしていました。

芸術型がより豊かになるためにモノを手放す攻めのミニマリズムだとすれば、「神経症型」はモノに対して逃げのミニマリズムであると言えます。

とにかくモノが気になって落ち着かないし、ごちゃごちゃと時間の過ぎていく感覚がある。
モノの少ない状態がデフォルトであるため、ミニマリストYouTuberのよく言う「モノを手放せば人生が豊かになる」が実践的に当てはまりやすい型です。ほかの型でも当てはまることはありますが、モノを手放すだけで無条件に豊かになる感覚は「神経症型」により顕著でしょう。


 [ミニマリズムを所有する]


芸術型のミニマリズムは長続きしづらい特徴があると前回のお話ししました。一部の人を除き、芸術にはあまり強制力がないためです。

反対に「神経症型」のミニマリズムには強制力がはたらきます。その人にとってモノの少ない状態が自然であり、意識せずともそこへ近づこうとする力がはたらくためです。

17世紀オランダの哲学者・スピノザは、各々の自然なあり方を「欲望」と定義しました。そして「欲望」へ還ろうとする力のことを「コナトゥス」と名付けています。

たとえば「欲望」の対象が自由に生きることである人が、もし檻の中に閉じ込められた場合、その状態に対して抗おうとする意識がはたらくはずです。このはたらきが「コナトゥス」ですね。
かみ砕いて言えば、人はストレスのない状態に留まろうとするのです。

つまり「神経症型」の人がモノに溢れた空間で暮らしていると、その人の自然なあり方が抑えつけられていることになります。
ですから自ずとモノが少ない方へ向かおうとする。ストレスの原因であるモノから逃げようする強制力がはたらくのです。

私事で恐縮ですが、私の実家は古くて狭い汚部屋でした。自分の部屋も満足にあたえられず、四六時中テレビの点いている居間から暖簾一枚隔てただけの、半分物置のような部屋が唯一のプライベート空間でした。
その後、気が滅入る実家を出てひとり暮らしをはじめると、「ミニマリスト」という概念を知らずにモノを持たない暮らしをしていました。
ある時友人に指摘されて、はじめてその言葉を知ったのです。自然発生的な野生のミニマリストです。

このように「神経症型」の人は、むしろモノが少ない空間を切望します。言い換えれば、ミニマルな環境だけは手放さずに所有しようとします

いくらモノを減らしても、その状態に対する執着だけは手放せていないと言えます。ミニマリズムそれ自体が一種の所有欲のうちに内包されているのです。


 [自覚の必要性]

長続きするミニマリストに「神経症型」が多い根拠はこれまで見てきたとおりです。

読者のなかにも、仕事中に気が散って集中できないために、デスクの上を常にきれいな状態に維持しなければ気が済まない、という方もおられるかと思います。あの感覚をより極端にしたものが「神経症型」のミニマリズムです。

芸術型と性質が大きく異なることは明らかです。時に「神経症型」ミニマリストの情報発信が、一般的な暮らしをしているそれ以外の型の人々を啓蒙してしまうことがあります。
ミニマリストは数あるライフスタイルの1カテゴリーと考えられているため、このように細分化するという発想がほとんど見られません。
発信者はミニマリズムを分類せず、様々な型のメリットをごちゃまぜにして提示し、最後は「モノを手放せば人生が豊かになる」に帰着します。

ですから受け手側は情報に惑わされず、自分に合う考え方・理想・手段・目的をはっきりさせておく必要があります。前回もお話ししたように、むやみに捨てると取り返しのつかない後悔をしてしまいかねません。

モノは資産ですから、より慎重に発信されて然るべきでしょう。こうした危機感がこの記事を書いた動機のひとつでもあります。

また、「神経症型」の人であっても油断はできません。とくにこれからモノを手放そうという方は注意が必要です。当然ですが神経症度合いも人によってバラバラです。

もしも必要以上のモノを手元に残してしまうと、知らずのうちにストレスが溜まり、生活が乱れているかもしれません。反対にモノを減らしすぎると、「神経症型」と言えども後悔につながることがあります。
思い出や今後の必要性などをよく検討せずに、目に見える大きさや色、質感などの視覚的判断にもとづいた安直な断捨離をしてしまうことがめずらしくないからです。

私の場合は、絶版の漫画本を売ったことをずっと後悔しています。多少の快適さと引き換えにしてでも所有し続けるべきでした。

ほかにも思い出の品をスマホの写真に保存してから捨てる、ということを見聞きしますが、少なくとも手で触れられる物質からしか得られない価値は損なわれることを肝に銘じておかなければなりません。

捨てられないだけでなく、つい捨て過ぎてしまうことがあるのは、単に「神経症型」の人が、モノの所有・管理の能力に欠けているからとも言えます。

すべての型に言えることですが、所有する適正量を見定め、必要な(不要な)分だけ手放していくように心がけましょう。

 [変転するミニマリストたち]

この記事では「神経症型」がミニマリストに向いているのに対し、芸術型は失敗するケースが多いと主張してきました。

そもそもはじめに、4つの型をグラデーションで見ていこうとお話ししました。なぜなら、1つの型に100%全振りしているケースは極めて稀だからです。

一見、芸術型に見えるミニマリストYouTuberの中でも、初めは他の型であることがめずしくないからです。

国内のミニマリスト発信者の草分け的存在であるミニマリストしぶさんは、「神経症型」の代表格です。ですが、しだいに環境保全(思想型)の観点から商品開発に携わるようになり、ほかにも防災グッズ(惰性型)を取り入れたり、部屋のデザインのために床にタイルマット(芸術型)を敷くなど、幅を広げられています。

初心者におすすめしたいミニマリストTakeruさんは、ミニマリストになる以前、病気の悪化により働けなくなり、節約意識(惰性型)からモノを手放したそうです。ひとたび断捨離の効用を実感すると、モノの存在が気になって(神経症型)仕方がなくなった様子でした。後にモノ選びの統一感(芸術型)を重視するようにもなりました。

最後にもう一名、かぜのたみさんです。洗練されたライフスタイルと歯に衣着せぬ本音トークでファンの多い彼女ですが、非常にめずらしく「芸術型」に特化した方なのではないかと考えています。ご自身のライフスタイルを追求していくなかで部屋が最適化され、現在では節約系YouTuberとしてもたくさんの支持を集めています。

 [結びと予告]

「神経症型」の人は、モノの少ない状態が自然であるために、モノを手放すだけで人生が豊かさになりやすいのでした。

神経症型の自覚のある方は、少しずつでも良いのでミニマリズムを実践してみることを強くおすすめします。

先ほど、ミニマリストYouTuberの方々を独断と偏見で分類させていただきましたが、大変勉強になる動画ばかりですのでぜひご覧ください。

また、[流転するミニマリストたち]という章を設けたのは、次回お話しする「惰性型」に深く関わるためです。「惰性型」はとくにほかの型と共存しているケースが多く、また、もっとも現代的な価値観が表れているからです。

予告として簡単にふれておきますと、「惰性型」は他の要因によりモノを持たない人のことです。
節約のために余計なモノを買わなかったことで、結果としてミニマリストになっていた、などのケースが当てはまります。
他にも様々なパターンがありますが、経済的な論点から「惰性型」についてお話しする予定です。

今回はここまでとします。「神経症型」はなかなか面倒くさい気質ですが、ミニマリストに向いているのもこのタイプです。
捨て活は醍醐味ですが、持ち続けるという選択も立派な決断です。モノ選びや捨て方、インテリア、その他感想などコメントを頂けたら嬉しいです。


 ~おまけ

この頃私は、ミニマリスト的に不要なモノをあえて持つ、ということが小粋に思えてきました。例を挙げるのはなかなか難しいですが、たとえば、カードゲームの大会で優勝するためのデッキに一枚だけ、実用性を度外視した好きなカードをしのばせた時のエモい感じといいましょうか。
昨年知人に勧められて回したガチャガチャの小さなクロミちゃんを、今でも捨てることなく所有し続け、置き場所をひねり出て飾っています。ミニマリストでありながら、モノで「遊んでみる」のも、たまには面白いかもしれません。

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