二番底を打つとき:感性と科学
本日から4日間都内のため、少し早めの飛行機で羽田入り。
羽田空港でのお気に入りの場所はこちら。
第2ターミナルから第1ターミナルに移動し、直通エレベーターで5階まで上がり、ピアノの前の静かな空間に陣取って読書タイム。
空港にいると、自分という物質が気化して、自由自在にどこへでも、どの時代にも飛んでいけそうな気分になれる。
今回の旅のお供は「天使のラストメッセージ」
過去にあるお仕事でご一緒させていただいた方が書かれた本で、ターミナルケアに携わった1人のナースが寄り添った16名の人生のドラマが綴られている。全ての物語が旅立ちの物語。そして、そこに正面から向き合い切った、時には逃げ出した、看護師の自己対話と死にゆく間際の患者さんとの間に繰り広げられた対話の物語。
毎月50-60冊くらいの本を読む(聞く本も含め)私だが、この本はダントツに深い本だった。
答えのない質問についての一節:
挫折や失敗で、底を経験することはある。
というか、生きている限り全員通過する道だ。
脱出するために、いろんなもがきをする。
知識を身に付ける人、ツールを取得する人、鎧をつけ強くなろうとする人。色々方法はあるし、早かれ遅かれ、だいたいの場合は這い上がれる。
でも、
忘れた頃にやってくる2番底で、人はどう自分と対面するのか?
2番底にいる時、知識メタボやスキルメタボでは、動きが取れない。
だから○○をやる。
浮上するためには、知識やツールの一切手放すという決断をする。
怖くなって、混乱して全てを丸めて捨てるのか?
丁寧に幾つものレイヤーを溶かしながら、身を軽くし、アンラーニングをして再盛するのか?
この境界線のゆらぎの中で、自分は何者でいるのか?
意思をもって取捨選択をしないと、ずんずんと自分の真髄に迫ってくる。
これは、命取りになるほど大きな分かれ道だ。
その内面、99%を占めるのは、自分とその対象物との間に繰り広げられる問い、対話の集積や問答。
「たからさん、その潜水艦のように深ーく潜ってやっている思考プロセスを表に出してやってほしいのですよ!」
「みんな怖いし、痛いし、逃げたくなるその手放しのプロセス。そこを描写して、言葉にしてください。」
怖いけど、多分ここが私の今押すべきスイッチだなと明確になった4日間でした。
皆さん、絶妙なタイミングで目の前に現れてくださって、ありがとうございます。