22年前のスピーチの主が語り出す
私が卒業したMacalester Collegeでは、毎年卒業生の中から1名Internationalism Award/Global Citizenship Awardを授与される。
このAwardを授与されスピーチをしたのが22年前の春。
今日は、歴代の授与者が集うインタビュー会がオンライン上で開催され、トルコ、パレスチナ、スウェーデン、日本など、世界各地からミネソタにZoomでつながった。
司会進行をしてくれたのは、現役の学生さん。
「自分のスピーチを覚えている?」
「卒後、自分が歩んできた道を振り返って、その根底にある信念・価値はどんなふうに形成されたと感じている?」
と発言を促される。
自分の声が他人を経由して、やまびこのように自分に返ってくる。
22年前の自分が、鮮やかな輪郭を描いて、力強く言葉を与え、背中を押してくる。
今日は、なんだか不気味な夜だ。
物事が、ぐんと一歩前に動き出すのは、決まってこんな不思議な感覚の日だ。
スピーチを書き上げた夜もそんな日だった。
ネパールの山奥で、月明かりと消えそうなロウソクの灯をたよりに書いた、手書きのスピーチ。
ワクワクもしない。
ドキドキもしない。
ただ、「そうなる」「そうとしか思えない」という絶対的感覚に満ちていて、冷静沈着に時間が流れる夜だ。
―――――
今置かれている現状を仲間に話した時に、
「僕もPh.D. の最中に指導教授を亡くした。最悪の道のりだった。でも這い上がって、今いる場所にいる」
と語ってくれた仲間がいた。
このAwardコミュニティーでは、指導教授を亡くすことは異例ではないらしい。
それくらいの出来事が起こることは想定内の人生の人たちの集まりらしい。
自分が歩んでいる道は、世間的に見ると想像しにくいらしいが、このコミュニティーではいたって「普通」「当然」なのことなのだという意識に切り替わった。
「パチン!」指を鳴らすようにと一瞬で。
一気にいろんな重荷が崩れ落ちた夜。
―――――――
何のためにそんな経験をさせられているのか(しているのか)?
時間軸を超えて俯瞰してみないと理解できないことってありませんか?
人生の節目節目で、自分が過去に放った言葉を覚えてくれている人が結構いて、タイムスリップ&空間移動した先に、不思議な縁が手繰り寄せられて、同志が現れることがある気がします。
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