不思議な話(by母)
母はわたしが子供の頃から唐突と意味不明なことを言う人だ。
例えば…。
わたしが小学生の頃は土曜は午前授業だった。
給食はなく、四時限が終わると家に帰った。
小4からブラスバンドに入ったので土曜の午後は練習があった筈で、だからこの記憶は小3の頃だと思う。
実家は商店だ。
店の裏に自宅がある。(離れてはいないので店の中を通って住まいに入る)
その時の店番は祖父だった。
祖父に『ただいま』とあいさつし、自宅に通じている扉(確か引き戸だった)開け、父の事務机の脇を抜けて自宅部分に入った。
台所に母は居らず、茶の間でそろばんをはじいていた。(恐らく事務をしていたのだろう)
丸いちゃぶ台に帳簿を広げて母は何かを計算している。
わたしは「ただいま」と言い、昼を食べたいと言う。
するとそれに対する返答には全くかなっていない言葉を母は発した。
「二階に誰かいるか見てきてちょうだい。」
我が家は六人家族だ。祖父母、両親、自分と弟だ。
母とわたしはここにいる。祖父は店にいた。父は事務机で注文書を書いていた。もしも二階にいるなら、祖母か二つ下の弟だ。
そこでわたしは訊く。
「オトウトは?」
すると母は当たり前の口調で、
「オトウトはタカダ君(弟のいちばんの仲良し)のお誕生会に行っているわ。」と言った。
それなら祖母しか考えられない。見に行くまでもない。
「おばーちゃんは?」
母は帳簿から目も上げずに答える。
「マサキヤさんのおばあちゃんと出かけているわ。」
だったら誰も居ないのでは?
「じゃ誰も居ないじゃない。」
わたしは当然の突っ込みをした。
「そうなのだけれど、さっきから何度も階段を上がったり下りたりする音がするのよ、だから誰がいるのか見てきて欲しいの。」
居る筈のない七人目を小学生の子供に見に行かせる母。
しかし彼女は得体の知れないものを見に行かせるという認識はないのだ。
単純に、階段を上り下りする「誰か」が気になるから確認して欲しいと言うのだ。
母はおっとりした性格と風貌と話し方に反して言い出したら聞かない頑固さを兼ね備えている。わたしは腹を括った。
二階は二間だ。手前がわたしとオトウトが使う八畳間。その奥が祖父母の使う十畳間。どちらも畳敷きの日本間でふすまで仕切られている。
手前のじぶんらの部屋は無人。奥の祖父母の部屋にも当然誰も居なかった。
わたしは確認するとマッハで階下へ降りる。怖いから。そして母に言った。
「誰も居なかったよ。」
母は涼しい顔で応える。
「ありがとうね。誰も居ないなら良いのよ。泥棒だったら怖いけれど、足音だけなら何も盗られないものね。」
わたしはその矛盾に何と言ってよいかわからず、ただお腹すいたと訴えるしかできなかった。
母は恐らく「見える人」だったのだろう。
けれど全くの無自覚だった。
そしてその真偽を誰か(主にわたし)に振るのである。
こっちの身にもなってくれよ!と何度進言しても暖簾に腕押しである。母は全く事の次第を理解していないのだ。
あなたは見える人なんでしょ?と御年88歳の母に訊ねたけれど、彼女は穏やかに笑いながらこういうのだ。
「見えるって何が?」