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Ladies of the Canyon/ジョニ・ミッチェル

アルバムタイトル(或いは曲名)とアーティスト名がタイトルの時はそのアルバム(或いは楽曲またはそのアーティスト)をどれだけ好きで聞いているかを垂れ流します。


ジェケットもジョニが描いてる

このアルバムに出会う経緯は以下です。
洋楽(ロック・アメリカンフォーク)にハマる

洋楽を探してラジオの深夜放送を聞き日本のフォークにハマる(当時ブームだった

六文銭(フォークグループ)の「私の家」と言う曲にハマる

音楽雑誌で「この曲はジョニ・ミッチェルのLadies of the Canyonのジャケットから作りました(みたいな内容)」と及川恒平氏が語っているのを知る

そのアルバムが見たい!!聞きたい!!

東京堂(近所のレコード屋で私の洋楽と日本のフォーク・ロックはここの兄ちゃんに教わった)に走り「ジョニ・ミッチェルってある?」と聞く

ナイ!!!!!!!!!!!(ファーストは邦版があった)

小6の女子にはそれ以上の手段が思いつかずそのままになる(苦汁をなめる

私が歌謡曲以外の音楽を聴きたいと願った頃、特に洋楽のロックやポップスやフォークは日本版がリリースされていませんでした。
たしか聞きたくて調べた「はっぴいえんど」も通販だったような?(違ってたらごめんなさい)

ビートルズとストーンズは並んでいた筈。
でも、カナダのシンガーソングライターであるジョニ・ミッチェルなんて東京堂にはなかったし、チャリで走って聞きに行った銀座ヤマハにもなかった。

結局ジョニに出会い、聞きたかったあのアルバムを手にするのはそれから四~五年あとになります。
渋谷の宮益坂にHonky Tonkって輸入レコード店があって、そこに学校の帰りに入り浸っていた頃、店員さんのにーさんに聞いたらストックから出してくれました。一緒に名盤の「BLUE」も渡してくれたけど、その時はどうしても「Ladies of the Canyon」が聞きたかったし、その一枚分のお金しかもってなかったからそれを買ってものすごい勢いで家に戻りました。

わたしにとって「Ladies of the Canyon」は春です。
ra/purimaberaです。
ある朝、目が覚めて窓を開けたら昨日までと全く違うちょっと濡れた春特有の生温かな風が吹き込んできて「あ!春じゃん!」て思ったあの日の空気の匂いそのままのアルバムです。
ジョニ・ミッチェルの誰にもまねのできないあの声の音と、後から知ることになった変則チューニングとそれに合わせた特異なコードと、夢みたいに絡み合うメロディと声が畳敷きのぜんぜんかっこよくない自分の部屋に流れて、ヤバイ!これがカナダのソングライターなのか!!と舞い上がりました。(後から同じカナダのThe Band聞いて全然違う事に顎を膝まで落としたのは別の話)
ほんとうに失礼な話だけど、中学だったかな?「いちご白書」て映画が爆発的にヒットして、その中でバフィ・セントメリーがこのアルバムにも収録されてるサークルゲームを歌ってるけど、ラジオでは映画主題歌の方がそれなりに流れていて聞いていたけれど、ジョニのを聞きながら同じ曲だとは分からなかった。それくらいに声の音の威力がすごかったのだと思います。

「くるり」と言うバンドが好きなのです。
ジョニ・ミッチェルがアルバムを発表する度に、ドカドカとその音楽スタイルを変えて、突然JAZZになったり、ブラックミュージックっぽかったり、デジタルに挑戦してたりをずっと聞いてきて、恐らく「くるり」の次に何するのだろう?なワクワク感をジョニで覚えてしまったので、そうした音作りをするアーティストを愛でている気がします。

ジョニ・ミッチェルを聞く機会を与えてくださった六文銭の「私の家」に感謝します。

「私の家」