【オリジナル小説】いつもの空(後編)
『いつもの空』(後編)2.天才作曲家とともに
犬山 翔太
「あんたも、今頃アールさんの行方を聞きに来るとは、物好きだねえ」
居酒屋の元マスターは、顔をしわくちゃにして笑った。
「ええ。この辺の方々も、ほとんどアールさんの記憶は残っていませんでした。でも、私は、アールさんを天才作曲家として尊敬してましたから、記憶からは絶対に消えません」
エス氏は、真剣な顔で話した。しかし、『いつもの空』の話はしなかった。元マスターが『いつもの空』を聴いても、アール氏の作品だとは気づかないだろうし、そもそも『いつもの空』自体を知らないだろう。
「わしも、アールさんのことはよく覚えてるよ。アールさんは、作曲家として写真すら公開していなくて、表に出てなかったから一般人は顔を見ても気づかない。わしは、一緒に飲みにきていた音楽事務所の方がアールさんをミリオンセラーの作曲家だって教えてくれたから知ったんだ。アールさんは、飲みに来てくれると、いつも閉店前まで飲んでてね。引っ越していく前日もそうだった」
元マスターは、遠い目で語り始めた。
「あの日も閉店前まで飲んでいてね。最後に『明日、引っ越すから、もう来られなくなるんだよ』って話をしてくれたんだ。で、『どこへ引っ越すの?』って聞いたけど、最初は『誰にも言ってないんだ』と教えようとしなかった」
「でしょうね。今まで誰一人、アールさんの行方を知る人はいなかったですから」
「でもね。『ちょっとくらいヒントを教えてよ』と粘って頼んだら、お酒が入っていたせいもあってか、少し教えてくれたんだ。『南の端の海辺でゆっくり農業をやって暮らすんだ』って」
「南の端の海辺ですか」
「そう。それ以上のことは教えてくれなかったけど、温暖だから農作物がよく育つ場所なんだって」
「ありがとうございます。これから探してみます」
「会えたらよろしく言っておいてよ。2年間だけだったけど、最高のお客さんだったから」
エス氏は、うなずきながら、お礼を言った。
エス氏は、その週末から、南の端の海辺へ向かい、聞き込みを始めた。
30年前に引っ越してきた男を全員割り出して、突き止めればいいのだ。さほど人口が多くない地方だけに、目星は付けやすいだろう。
エス氏は、十数人の候補を割り出したが「アール」という名前はなかった。
「アール」という名前は、芸名であり、本名ではない。インタビュー時に、本人からそう聞いていた。
結局、本名は、教えてもらえなかったので、エス氏は、1人1人会いに行くしかなかった。
そして、エス氏は、綿密な調査の末、ついにアール氏の居所を突き止めた。
エス氏がアール氏のいる畑に向かうと、アール氏は、忙しそうに農作業をしていた。
久しぶりに見るアール氏は、天才作曲家としてのオーラを消し、まるでこの地方で生まれ育って農業を営んできた人のようだった。
アール氏は、近づいてくるエス氏の姿に怪訝な表情を見せたが、エス氏だと気づくと驚いた表情に変わった。
「お久しぶりです。アールさん」
「おおっ……。まさか、君と再会するとは……」
「随分、探し回りましたよ」
「だろうね。あの頃の知人には誰にも居場所を教えてないから」
「居酒屋のマスターがアールさんとの会話を覚えていて、それをヒントにたどり着きました」
「さすがだね、そんなところまで調べ回ったんだ。ところで、どうして今頃、君は、私に会いたくなったの?もう引退して30年だよ」
アール氏は、何も話すことはない、と言わんばかりに牽制する。
きっと『いつもの空』のことも、気づかれていなければ、話すつもりはないのだろう。
「単刀直入に申し上げますと、『いつもの空』という曲をご存知ですか?」
エス氏の問いかけに、アール氏の顔色が変わった。
「やはりエス君には、ばれてしまったか。もしばれるなら君だろうとは思ってたんだ」
「はい。メロディーで独特の技法を使ってるところから、ピンと来ました」
「なるほどね。それで、久しぶりにインタビューをしに来たってわけか」
アール氏は、すべてを察したようだった。
「残念だけど、私は、もう表舞台に出るつもりはないんだ。だからインタビュー記事として世に出したいなら、お断りするしかない」
「そうおっしゃられると思い、今日は、仕事ではなく、プライベートで来ました。記事にはしませんから、お話を聞かせてください」
「私のことを最もよく理解している君らしいな。じゃあ、私の家でゆっくり飲みながら話をしようか」
アール氏は、一切記事にしないことを条件に、エス氏を自宅に招き入れてくれた。
天才作曲家の自宅とは思えないほど、築100年はたっていようかという小さな古民家だ。
「まずは、どうしてあの2曲だけで引退してしまったか、教えてもらえないでしょうか」
アール氏は、酒を1杯飲み干してから、語り始めた。
「うん、あのときは、君も驚いただろう。発売した2曲が両方ヒットして、まさにこれから、という時期だったから。でもね、私は、所属していた事務所から、同じような曲を注文されて作ることに嫌気がさしていたんだよ」
「『ヒット曲と似たような曲を作って』と言われる、この業界によくある話ですね」
エス氏も、同じように悩むアーティストをよく見てきた。
「そうだね。確かに似た曲を作れば、ある程度はヒットすると思う。でも、最初の曲以上のヒットは見込めないし、すぐ飽きられてしまう。今、同じような曲を出して、売れるうちに売っておこう、という考え方への反発があった。それに……」
アール氏は、ちょっと言いにくそうなそぶりを見せた。
「引退の理由は、1つじゃないんですね」
「そう。私は、2人の歌手に楽曲を提供したけど、その2人にずっと楽曲提供し続けることは許されなかった。事務所の方針でね。1曲だけ提供して、その後のケアもできないなら無責任だと思ったんだよ」
アール氏は、また酒を口にする。
「確かにそうですね。提供曲がヒットしても、その後、曲を提供してもらえなければ、歌手ものちのち苦しむことになりますからね。とはいえ、その2つの理由があったとしても、引退するとは、思い切りましたね」
エス氏の言葉に、アール氏は、重々しくうなずく。
「当時は、反発して独立して1人でやっていこうっていうのが難しい時代だったからね。今のようにネットもなかったし。だから、大手事務所の力を借りてメディアで売り出してもらわなければ、なかなかヒット曲を出せなかった。それなら、もう引退して、曲は自分が作りたいものだけを作ろう、と」
そんなアール氏の言葉に、エス氏は、付け加えていく。
「得られるであろう莫大な売り上げを捨ててまで、自分に素直でありたい、と」
「まあね。この世界は、夢があるから、大ヒットを連発すれば莫大なお金を手にできる。私も、2曲でサラリーマンの一生分のお金を手にしてしまったから、未練はなかったんだ」
アール氏は、自分を納得させるかのように微笑んだ。
そこで、エス氏は、ずっと聞きたかった質問を繰り出す。
「じゃあ、今回、『いつもの空』の動画に一切広告を付けていないのも、もうお金は必要ないという気持ちからですか」
「そのとおりだよ。私は、サラリーマンであれば、もう定年退職する年齢。今更、大金を手にしたいとは思わないよ」
アール氏は、お金を目的に『いつもの空』を公開したわけではないのだ。
なら、何のために……。
エス氏は、残る疑問をぶつけてみた。
「では、どうして今更、『いつもの空』という新曲を世界中の人々が視聴する場所にアップしたのですか?」
「それは、世間のみんなが思っているだろうね。引退してからも、音楽を極めようと作詞作曲を続けてきて、ようやく自分が満足できる曲ができた。多くの人々の心を潤し、生きていく支えになるような曲。世界に向けて公開するのが私の人生最大の社会貢献だと感じたんだよ」
エス氏は、アール氏の話を聞きながら、いたく感動していた。
「アールさんらしいですね。まだ疑問があるんです。『いつもの空』を歌っているのは、アールさんじゃありませんよね」
「ええ。私は、歌手としての才能はなかったから。あれは、歌がうまい息子に頼んで歌ってもらったんだ。息子は、作詞作曲の才能はないけど、歌はうまいんだよ。私とは全く逆。うまくいかないもんだね」
アール氏は、自嘲するように笑った。
そして、思い出したかのように、エス氏に切り出した。
「そういえば、君は、音楽ライターになる前に、歌手として成功したいっていう夢を持っていたんだったよね」
「よく覚えていらっしゃいますね。音楽ライターになる前は、歌手を目指していました」
「実は、昔、君とカラオケに行ったときに聴いた歌声に、よく合う曲を1曲作ってあるんだよ。聴いてみてもらえるかな。『親愛なる友』っていう曲なんだ」
エス氏は、『親愛なる友』を聴いて、あまりにも高い完成度に感嘆した。
「素晴らしい名曲ですね。『いつもの空』に勝るとも劣らないほどです。しかも、私が歌うのにぴったりの音階とリズム、歌詞です」
エス氏は、興奮して、まくしたてるようにしゃべった。
「ぜひ歌ってみてほしい。音源を動画としてアップすれば、世界中の人々に喜んでもらえるはずだから」
エス氏は、2つ返事で引き受けた。
その日のうちに、エス氏は、アール氏指導の元、歌を練習して録音した。
アール氏は、出来上がった音源を聴いて、満足そうに微笑む。
「いい仕上がりだよ。来週中には、動画をアップしておくよ。『親愛なる友プロジェクト』というチャンネル名でね」
「お願いします。アールさんのプロジェクトに参加できて光栄です」
その2週間後、エス氏が仕事をしていると、隣のケイがまた声をかけてきた。
「エスさん、今度は『親愛なる友』っていう曲がバズってるの、ご存知ですか?」
エス氏は、ほら来た、と思いながらも、冷静に答える。
「ああ、知ってるよ。『いつもの空』と同じくらい人気なんだろ?」
「ええ、これがまた男同士の熱い友情を描いていて、素晴らしい曲なんですよ。ネットでは、『いつもの空』と『親愛なる友』は、同じ人が作ったんじゃないかって話題になってます。チャンネル名が『親愛なる友プロジェクト』になっていて『いつもの空プロジェクト』と同じ付け方なんですよ。どちらも正体不明だし、1曲以外にアップ予定がないところも、広告を一切付けないところも同じで」
ケイは、かなり興奮している。
「へえ、面白いねえ。同じ人が作ってる可能性があるし、別の人が模倣してやってる可能性もあるんだね。でも、歌ってる人は、明らかに別だよね」
「そうなんですよ。それがまた謎が謎を呼んでるんです」
エス氏は、心の中で「今回歌ってるのは私だよ」と思いつつ話を合わせる。
「作った人が歌ってるのか、もしくは作った人が同じで別の人が2人それぞれ歌ってるのか……」
「正体を突き止めれば、大スクープなのになぁ」
ケイは、仕事柄、何とか記事にできないか思案する癖があるようだ。
「そういえば、エスさん。『親愛なる友』の歌声、エスさんに似てませんか?以前、一緒にカラオケに行って聴いた歌声と似ているなあ、と思って」
「ははは、大ヒット曲の歌手に似ていると言われると嬉しいなあ」
「きっとエスさんが歌ったら、みんな、似ているって褒めてくれますよ。今度、カラオケへ行ったら、ぜひ歌ってくださいよ」
「ふふふ。そうだねえ。本物にできるだけ近づけるように、練習しておくよ」
エス氏は、無邪気に興奮するケイを尻目に、心の中で「私の夢が叶いましたよ」とアール氏に向けてつぶやいた。
あとがき
今、私が小説を書いたら、どんな作品が出来上がるか。いつか書いてみたいと思っていた内容を書き始めたら、一気に書き上げてしまいました。
夢や友情、この30年間の音楽業界の変遷がテーマとなっています。
『いつもの空』『親愛なる友』という曲名は、Fellowsの方々なら思い当たる節はあるでしょう。
そうです。ASKAさんの名曲「けれど空は青~close friend~」へのオマージュとして、Cメロに出てくるフレーズと、副題の日本語訳なんです。
2021年は、「はじまりはいつも雨」30周年であるとともに、ASKAさんの人気投票ナンバー1曲「けれど空は青~close friend~」30周年でもあります。
私の小説は、オリジナルな内容になっていますので、ジブリの短編映画『On Your Mark』と同じ感覚で読んでいただけると幸いです。
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