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2004年、伝説の開幕戦に向けて、落合博満が仕掛けたもう1つの奇策

~ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたか
 第58章~

2004年の開幕戦。落合の奇策と名高い開幕投手川崎憲次郎は、あまりにも有名だが、それに隠れて見逃されている側面がある。

相手チーム広島の開幕投手、エース黒田博樹の大乱調だ。
当時、お世辞にも強力と呼べなかった中日打線につかまり、KOされてしまったからだ。
世間やメディアでは、川崎の負けを消そうと中日打線が奮起した、と言われているが、奮起して勝てるなら全試合勝ててしまう。

裏に、エース黒田を狂わせる何かがあった、と考えるのが自然だろう。
そのヒントになるかもしれない話を荒木雅博がYouTubeチャンネル『上原浩治の雑談魂』で語っていた。(13:17頃~)

世間では「落合は何をやってくるか分からない」というイメージを持たれているが、荒木が体験した「変わったことをやった」のは、たった1回だけなのだという。

それは、落合が監督1年目のオープン戦。
広島の先発黒田博樹に対して1回り目は、全員セーフティバントをするように命じたのだと言う。
当時は、四番打者と呼べる選手もいないから、全員にセーフティバントをさせるのか、と思ったそうだ。
実際に、四番打者も含めて1回り目は全員セーフティバントをして、ほとんど成功しなかった、という。

この試合がどの日だったかをさかのぼってみると、おそらく2004年3月25日のナゴヤドームでの広島戦だ。
この日、先発した広島のエース黒田博樹は、前年も開幕投手で13勝9敗の好成績を残していた。
しかも、この日は、オープン戦の最終登板。2004年4月2日に中1週間で開幕投手として中日戦に先発することは、誰の目にも明らかだった。

3月25日は、中日のセーフティバント攻撃がほどんど成功しなかったためか、黒田は、5回1安打無失点に抑え、広島が2-0で勝利している。

しかし、2004年4月2日の開幕戦。中日戦に先発した黒田は、2回に2点を失うと、5回に1点、6回に2点、7回に3点を失い、7回途中10安打8失点でKOされてしまうのだ。

あれほど完璧だった黒田がわずか1週間で無残なまでに崩れていた。
落合が1週間前にセーフティーバント作戦で黒田を揺さぶったことで、黒田のリズムと投球フォームに狂いが生じていたのだろう。

落合は、投の川崎起用だけでなく、打の方でも広島の黒田を揺さぶる奇策を1週間前にかけていたのだ。

これを知ると、一般的には「捨てゲーム覚悟だった」と評されがちだが、1週間前から黒田を崩そうとして、勝ちに行こうとした形跡が垣間見える。

川崎は打たれてしまったが、その後、落合の目論見通り、中日打線は、黒田を打ち崩して、打ち勝ってしまう。

ご存知のとおり、中日は、勢いに乗って広島に開幕3連勝し、その余韻を残しながら見事なリーグ優勝を果たす。

その一方で、黒田の2004年は、不調に陥っていき、7勝9敗、防御率4.65に終わり、広島も5位に沈んだ。黒田は、それまでの3年連続2桁勝利が途切れ、2000年にエース級となって以降、引退する2016年までの間で最低の成績を残す羽目になった。

落合が監督として、8年間のうち、投と打でそれぞれ1回だけ使った奇策。
それがすべて2004年4月2日開幕戦のためだけだった、というところに、落合が監督初戦に注ぎ込んだ情熱と緻密さが見えてくる。

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