ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第2章
第2章 落合博満がコーチ経験なしでいきなり中日監督に就任~2004年~
落合が指導者になる瞬間は、大きな衝撃とともにやってきた。
2003年10月8日、くしくもあの伝説の10.8決戦と同じ日に中日監督への就任が発表になったのである。落合が選手として中日をFA宣言で出てから10年がたっていた。
なぜ落合を監督にするのか。一匹狼のイメージがあまりに強いため、当時の中日ファンの間では動揺が広がった。
落合の監督起用を決断したのは、白井文吾オーナーだった。白井は、落合の著書を購読していた。そして、その理論に感銘を受けて監督に起用したのだ。
1990年代に入って以降、14年間で1回しか優勝のない中日にとって、強いチームを作ることは至上命題だった。
白井がチームを強化するために、数多くのプロ野球選手OBの中から選び抜いた指導者。それが落合だった。
落合は、白井の要請を受けたとき、当初は、監督業を引き受けるかどうか迷っている。そんな中、家族の後押しと、コーチ人事の全権を任されるという契約をとりつけたことにより、落合は、中日監督に就任した。
落合は、監督就任後、当時の常識を覆す言動によって、チームを改革していく。その斬新さには、私も、目から鱗が落ちるほどの驚きの連続だった。
監督就任が決まった落合は、まるで選手時代の落合がよみがえったかのように、既成概念を覆す改革を始める。
・三拍子揃った選手になる必要はない。どこか一つ優れたところを磨けばいい。
・一軍と二軍は、春季キャンプが終わるまで切り分けない。全員平等にチャンスを与えるためである。
・コーチ陣も一軍と二軍を切り分けない。すべての選手を見るためである。
・トスバッティングは、廃止する。試合でありえない、横から下手投げで来るボールを打つ必要はない。
・他のチーム同士がやる日本シリーズを見る必要はない。それまでの自分たちの試合を洗い直した方が良い。
・今後1年間、一切のトレードや解雇、外国人選手獲得を停止する。現有戦力の10%の底上げで、優勝できる。どうしても入りたいという選手だけは、テストする。
・キャンプでの練習は、それぞれ選手によって始まりと終わりの時間帯、自主練習時間も別々とする。
落合は、すべての選手へ平等に活躍のチャンスを与えて競争力を高め、今後一年間、中日で野球に専念できる環境を作り上げようとした。
そして、現役時代と同様に、非合理なものや不条理なものは一切切り捨ててしまおうとした。
私は、当時、落合監督の動向から目が離せなくなってきていた。
次は、何をしてくれるのだろうか。
そんな期待を抱かせてくれる魅力があった。思えば、それは選手時代から常に感じていた。
おそらく、これまでの監督が思いつかなかったような斬新な改革を断行して行くに違いない。その度に、選手たちも、私たちも、落合理論を理解することを迫られ、深く考えさせられることになるだろう。
そんな予感があった。
中日は、1954年の日本一からはや49年にわたって日本一から見放されている。落合に与えられた契約期間は3年。
中日の半世紀ぶりの日本一奪回へ使命を帯びた監督。
私は、当時、落合監督をそんなふうに位置付けていた。
だが、そうした期待を持って見ていたのは、私をはじめとする落合ファンだけだった。
周囲の反応は、極めて冷ややかで、マスコミや選手、ファンも期待よりも不安の声が圧倒的だった。
そんな中で、私の記憶に残っているのは、ニュースキャスターだった筑紫哲也と山本昌の発言である。
筑紫哲也は、落合監督の就任会見後、ニュースでこんなコメントを残した。
「落合さんは、抜群に頭のいい人ですから、これからが楽しみですね」
山本昌も、落合監督就任に対するコメントとしてインタビューにこう答えた。
「これからやりやすくなるんじゃないですか」
筑紫は、ニュースキャスターとして長年にわたって落合を取材してきていた。山本昌もまた、落合とは1987年からチームメイトとして7年間を過ごしていた。
落合をよく知る者と落合をあまり知らない者とでは、反応が全く正反対になる。
落合が発信するコメントは、4行詩とも揶揄されるほど、哲学的で短い。それをマスコミが悪意を持って解釈するため、落合をよく知らない者は、マスコミが作り上げた虚像を信じてしまう。それゆえに一般的なプロ野球ファンは、選手が誰も付いてこない独裁的な指導者になるのではないか、という見方をしてしまったのである。
今になって思えば、まさに筑紫哲也と山本昌の発言は、的を射ていたことになる。
落合は、補強なしで1年目からリーグ優勝を果たし、最小限の補強で常に優勝争いをするチームを作り上げた。そして、選手やコーチとは相互信頼の上で好結果を残し続けたからである。