ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか(序章)
序章 落合の監督退任からの10年は物足りなかった
今『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』鈴木忠平著(文藝春秋)が話題だ。
ネットニュースで頻繁に見かけるから、無性に読みたくなる。
この本は、日刊スポーツの記者から見た監督落合博満を描いているようだ。実際に8年間、落合に多数取材してきた記者が書いたノンフィクション。
それだけに、監督落合の実像が鮮明に浮かび上がっているであろうことは想像できる。
しかも、この本の発売は、2021年9月。
落合の監督退任が決まってからちょうど10年になる。
10年もたっているのに、ここまで話題になるのは、やはり監督落合が圧倒的な魅力を放っていたからだろう。
私は、読みたくて仕方ないのだが、実はまだ読んでいない。
なぜなら、まず私も、落合の監督退任10年の節目に、自分が2012年に1年間かけて書いた『監督落合 8年間の軌跡』を再度整理し直したいと思ったからだ。
その前に『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』を読んでしまうと、影響を受けて、ファンとして見てきた8年間を塗り替えられてしまいかねない。
だから、私は、まず34年来の落合博満ファンとして『ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか』をまとめておきたい。
私は、落合の監督退任後、落合を引き継ぐ監督が現れるのをずっと願っていた。
高木守道、谷繁元信、森繁和、与田剛。
彼らは、落合が築いた黄金時代を継続、もしくは復活させようともがいた監督たちだ。
しかし、この10年で分かったことがある。
どれだけ落合を模倣しようとも、誰も永遠に落合にはなれない、ということ。
どこまでも野球を極めようとした求道者であった落合のオリジナリティ溢れる思考と流されない一貫性、圧倒的な人間力には、永遠にたどり着けない。
それは、突出したアーティストや経営者が唯一無二であって、誰も代わりと成りえないのと似ている。
今でも、私は、事あるごとに、落合ならどうしただろうか、と考えてしまう。
たとえば、2021年8月に巨人と原辰徳監督が無期限出場停止処分中の中田翔獲得を決め、原が中田をすぐにレギュラーで起用したとき。
私は、落合が中村紀洋を獲得し、中日を53年ぶりの日本一に導いた2007年を思い出さずにいられなかった。
しかし、もし落合だったら決して中田翔を獲得しようとはしなかっただろう。そもそも、落合は、暴力を全否定する監督であったから、暴力行為で処分された中田を絶対に獲得しない。
仮に暴力が原因でなかったとしても、現状の中田の状態とチーム内の戦力と状況、及ぼす影響を緻密に計算して考慮し、獲得しなかっただろう。
唐突に中田翔を獲得した巨人と原は、きっと日本一への道筋を描いていたに違いない。しかし、巨人は、その後、急激な失速をして借金1で辛うじて3位という結果に終わる。日本シリーズにも進めなかった。
原辰徳もまた、落合にはなれなかったのだ。
きっと、私は、落合が監督をしていたときの、あの震えるような感動と驚愕に2度と浸れない。
あの8年間の前と後では、私のプロ野球の見方は大きく変わった。
いや、落合によって、私のプロ野球の見方を変えられてしまったのだ。
派手で華のあるプレーや個人記録にばかり魅かれていた私が、それまで何の意識もせず見過ごしていたプレーや戦略に魅かれるようになった。
そして、落合の監督退任後、この10年間は、常にプロ野球に物足りなさを感じずにはいられなかった。
プロ野球ファンの私に、監督落合は、何を与え、私をどう変えていったのか。
これから連載する『ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか』をぜひ読んでいただきたい。