曽水に生きて 成瀬正成 下

18 小吉の弟達のその後

吉正のいる前田軍は、大坂の役・夏の陣で最後の決戦と言われている天王寺・岡山の合戦において、岡山口の先鋒を務めた。前田軍の後方には将軍秀忠公の軍が引かれた。合戦のあった5月7日の正午、前田軍は豊臣方であった大野治長の弟である治房の率いる軍とぶつかることになった。前田軍はかなりの戦死者を出し、苦戦しながらも、勝利した。もちろん前田利常の傍らには、本多政重と吉正の2人の姿があった。
大坂の役が終わり、前田利常は京の二条城の大御所家康公に挨拶の後、加賀の金澤に戻ることになった。その時利常は大御所家康公から阿波・佐向・伊予・土佐の四国を拝領することを打診されたが、固辞をして、今の所領地である加賀・能登・越中、3国の安堵を願い出た。そしてそれは認められた。前田利常と別れ際、大御所家康公は、くれぐれもこの戦の後始末が済んだら、吉正を駿府に寄越すように、頼んだ。それは大御所家康公が阿茶局と約束してあったからであった。利常もそれがわかっていたようにしっかり家康公と約束して、加賀の金澤に帰っていった。

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