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姫様俳話

12 茶の湯

成瀬家には、茶の湯の才能を持ち合わせていない…と思う。
お茶に関して記述があるのが、最初が京都で、2代正虎。彼が参加した記録のある茶会は、かの有名な茶人小堀遠州の茶会だった。どうも彼は恐ろしいことに、詰を務めたらしい。勿論、正客は尾張藩主の義直公。次客が竹越正信だったか。この当時の成瀬家は、確か正成の喪が明けたばかりで、付家老としてはもう1家の竹越家の方が立場が上であった。しかしそんなことではなく、2代正虎の茶の湯のセンスは、性格的に一切なかったと私は思っている。だから、その正虎が詰を務めたなんていう記述を見ると、私は自分のことを棚にあげて、笑ってしまう。

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