メモに集中しすぎてチャットも写真も撮れなかった和樂のオンライスナックの話。
和樂のオンラインスナック、毎週火曜日の20時から開催していて、なんと言っても無料で参加できちゃうんですよ。編集長の高木さんと編集の鳩さんが話している横でチャットが盛り上がってたりする楽しさがあったり、何より肩肘張らないでただ聞くだけでも面白いと思うんですよね、毎回40人くらいの参加だし。
一つ感じてるのは、高木さんって結構な立場でそれこそnote社の講演会とかに誘われてもおかしくない立場の人。その人が日本文化を2時間、ノーギャラで語ってるんだから、参加しないってもったいなくありません?まぁ、僕の拡散力が足んないのもあるんですけどね。
さて、今回のオンラインスナックは蔦屋重三郎がいかにクリエイティブな人だったか?というお話。と、その前に和樂が発信しているnote記事を参照にしてもらうと益々楽しく読める!と思う。
じゃ、本編行ってみよ!※今回は文字ばかりです…。
蔦屋重三郎が浮世絵に力を入れたのは晩年?
蔦屋重三郎は江戸時代中期の1750年~1797年に実在した人物。江戸吉原生まれ。晩年に浮世絵に力を入れた今でいう出版プロデューサーだ。最も力を入れた事業に吉原細見という当時の吉原のガイドブックを作っている。
吉原と聞くとほとんどの方が花街を思い浮かべるのではないだろうか?当時の吉原とは流行の発信源でビジネス、ファッション、文化的な中心地と言っていい。一昔前の渋谷を思い出してほしいといったらわかりやすい。
最近再び注目されてきた浮世絵を文化的に普及させたのも蔦屋重三郎で、浮世絵よりも狂歌のブームを作り出し、雑誌という画期的な書物を作り出した。浮世絵は重三郎が手掛けた中でも晩年のムーブメントであると生涯年表を読み解くと解る。歌麿呂を始めとした絵師を世の中に送り出した功績はおおきい。
実は巨大出版社を狙っていた!
狂歌のムーブメントを江戸に起こした事で一気に社会的な風刺作品や吉原の文化的な位置づけを高いモノにした。が、地方出身者からみたら吉原細見も浮世絵も狂歌本の各種も「江戸のお土産」だったようだ。その証拠に東北地方には浮世絵がきれいな状態で残っていたそうで、海外のバイヤーは地方から買い付けていたとの記述もある。江戸の町民にとって当たり前で、さほど珍しくなかった浮世絵が地方在住者にとってどれだけありがたいものだったかを見て取れる。
重三郎は寛政の改革以降、見せしめに殆どの財産を没収されたと聞く。これまで人生を掛けてブームを作って財を成したところが幕府から見たら目についたのだ。これまで売れていた狂歌本も上級の武士が歌を詠まなくなったことで廃れてしまう。
私財を没収されたあとに重三郎がとった行動は書物組合に加盟して全国的な流通網を獲得しようと奔走する。このとき売れに売れていた狂歌本はブームが去ってしまい、町民の興味は学問へと移っていた。全国展開に期待していたのは学問のブームに乗り、教科書などを江戸から流通したかったからだと。書物は廃れたのではなく、普遍化したことが伺えるエピソードだ。
常にブームを作るのではなく、追いかけるこの姿勢はクリエイターの感性に似ている。30代前半から40代まで怒涛のように事業展開していく様はスティーブ・ジョブズがスマートフォンを普遍化した昨今とよく似ているとは思わないか?
また、政府の圧力にも負けずに時代の変調を捉え、素早く行動する行動力はただの事業家ではできない。クリエイターの目線を持ちながら優れたビジネスセンスで時代を読み最先端を歩く姿勢は現代人に通じる。正直真似したい。
話を聞き入ってしまい、全然写真が撮れなかったのだが、今回はご容赦を。高木編集長が江戸文学を知るならとあるブログを紹介している。
実は聞きながら読みながらメモを取っていた。今回のレポートが遅いのも上記のブログを読み漁っているから。これは興味深いし面白い。
ブログの何が面白いって、実際の書簡を現代語訳して解釈を入れている辺り。最近の戦国武将研究でも実際の書簡を現代語訳してその時代の背景を探る動きがある。
特に残忍と言われてきた織田信長は実は平和主義で戦いを好まなかったのではなかろうかとの結論まで出している学者も居る。
江戸時代の初期から武将だけでなく商売人や町民の様々な書簡を解読、解明していけたら、実は日本は世界の最先端を独自の文化構造で走っていた!なんてことが解るかも知れない。
さーて次回の和樂webラジオは??
次回の和樂Webラジオ(名称をスナックからWebラジオに改名)は6/23(火)20:00~。
参加方法がわからない!という方は上記のnote記事からZOOMのリンクをタップしてね(ここには貼りません)。
次回の内容も少しだけ…。
馴染みがあるようで、じつはよくわからない「工芸」。それもそのはず、「工芸」は明治につくられた比較的あたらしい言葉です。明治に「工芸」の概念が生まれてから現在にいたるまで、美術や民藝、デザインと工業と隣接しながら、複雑な歴史をたどり、「工芸」の意味は多様かつ幾重にも変化しました。
一旦浮世絵から離れて工芸へシフトチェンジ。工芸ってくくりが大きすぎてよくわからないなんて人、必聴。編集長が日本一分かりやすく解説してくれると思う。
では次回の和樂webラジオまでご達者で!
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