マルシェイベントを考える~その位置を間違えないように…
コロナ禍が終わり、多くの人達が街を歩いたりお出かけするようになった。犬山は観光地であることから連日多くの観光客が訪れている。
コロナ禍前から続いていたマルシェブーム、これがコロナ禍後には少し意味の違ったイベントに変わりつつある。筆者もマルシェイベントを主催する立場にあるが、ここらへんで一つマルシェイベントに一考を置いておきたい。結構長いので時間のある時にでも読んでくれ。
そのイベントに意味はあるのか?人を集めるだけの勘違いはやめろ
イベントに意味をもたせることはマルシェイベントじゃなくても大切なことだ。人を集めたい、賑わいを作りたい、自分の事業の延長で~というのは大変理解できる。が、一つだけ異論を述べると、そのイベント自体に意味を持たせているだろうか?出店者、主催者の満足感だけで実施していないだろうか?
筆者は2022年と2023年に私鉄ハブ駅のちょっとした広場で音楽イベントの主催を行った。中部地方で活動するインディーズアーティストを集めたイベントだ。結果から述べると概ね好評で、アーティストのファンだけでなく多くの地元民が訪れてくれ、その演奏を聞き入っていた。
私鉄のハブ駅ということもあり多くの人が行き交う。足を止めて聞いてくれる方、見かけたからわざわざ会場へ来てくれる方、バス待ちの方まで様々だった。聞いてくださる方の中には演奏後のアーティストと交流し、物販を購入してくださる方もいた、喜ばしいことだ。
そして何より、大した苦情もなく、大きな事故もなく終わりを迎えられたこと、演奏してくれたアーティストにまた来たい!と言わせたことはイベント自体成功と言える。
ここで大切なのは3者の満足感とお客さんの期待値に応えられるかどうかになる。3者とは主催者、演者、出店者、お客さんとはオーディエンスだ。そして主催者が考えなければいけないのは3者の満足感とお客さんの満足感は全く違うということだ。
3者が満足するだけではお客さんの反応は薄い、お客さんだけが満足するのはイベントとして成功していない。近頃のマルシェイベントは3者だけが満足して、お客さんが置いてけぼりな感じがする。実際、マルシェ主催者のSNSを読み解くと、お客さんからの反応が薄いのはそのためだ。
つまるところ、キッチンカーにしろアーティストにしろ集めてただ告知するだけでは人も集まらないどころか、シラケてしまう。人を集めよう、賑わいを作ろうという崇高な目標からかけ離れてしまうのだ。お客さんはこの手のイベントに思ったよりも多く出向いていることを主催者は知らなければいけない。
もっと辛辣に述べると「お客さんはマルシェイベントに飽きている」。この話をしてしまうと「何だ、やるだけ無駄じゃないか?」となるが、論点はそこではない。飽きているからこそ、イベント主催者は「なぜそのイベントを開催するのか?」という命題がついて回るのだ。つまり開催する理由がなければいけないし、意味を持たせなければ大半のちょっと寄ってみただけの人が足を止めてくれない。
主催者は演者と出店者の利益を一番に考えろ!
主催者が一番考えなければならないのは演者と出店者の利益を一番に考えなければならない。最近のマルシェイベントを見ていて思うのだが、それだけの数を集めて、それぞれの利益が取れるのか?と疑問に思うことがある。
筆者の主催したイベントはあくまでも演者が演奏して成り立つ。だからキッチンカーは一台呼んだだけに留めた。ここでキッチンカーを4台も5台も呼んだら、演者のパフォーマンスを損なってしまう、それだけは避けたかったのだ。
キッチンカーを一台にしたことにより、その場の飲食はキッチンカー一択になる。出店者の利益の確保はこれでできるわけだ。
多くの出展者を抱えるマルシェイベントならば、余程強いコンセプトを考え抜かないと出店者の利益に繋がらない、出店して赤字を出すようなイベントはやめておいた方がいい。
なんども述べるが、お客さんはあなたが思っているよりもマルシェイベントに出向いている。見慣れていると何が起こるかというと、飽きてしまうのだ。消費者心理として「目新しいものがない」となる。
利益を一番に考えろ、とは経営計画に似ている。連続したイベントであればあるほど、賑わいを作りたいだけの想いだけでは続かない。きちんとしたコンセプトがあって、きちんと経営計画を立て、出店者の利益を確保して初めてイベントとして成立する。この点が足りていない、わかっていない主催者が実に多い。だから公共の協賛、後援を取り付けて一喜一憂してしまうのだ。それでは利益に繋がらない。
出店者はその道のプロなのだから、プロの姿勢に応えなければ主催者として失格どころか、そのイベントはやめておいた方がいい。利益を確保することを出店者に求める馬鹿な主催者もいるが、出店者はそれまで培ってきたファンがいるだけで新規の集客につなげるのは主催者の仕事なのだ。
主催者の考えるコンセプトは何が一番最適か?
次に主催者が考えるそのイベントのコンセプトは何が一番最適なのだろうか?筆者の開催した駅前の音楽イベントのコンセプトは「その街にアコースティックサウンドをかき鳴らす」の一点。街に音楽があると自然と賑わう。
江戸時代の庶民の娯楽を見てみると、一番の娯楽は相撲で、歌舞伎や能、落語など舞台を使った興行だ。そこには音楽もあり、人が集まり、露店が並び賑わっていたと聞く。今で言うマルシェイベントの走りだと思う。そして「江戸で人気の~」とか「京で人気の~」といった興行が地域に訪れたら相当の盛り上がりを見せていたのだ。
当然そこには興行主がいて、都会で人気の興行を地方の人にも見せたいことがコンセプトになっている。また、立ち上げたばかりの劇団が地方の興行主と一緒になって回っていたという。
劇団に人気が出れば興行主は多くの利益を得られるし、劇団も知名度を上げて江戸や京都で興行を行うこともできる。娯楽産業とはそのようにして成長してきたのだ、歴史が証明している。
そこまで考えろ、とまで言わないが、主催者側は明確なコンセプト(ふわっとした想いじゃない)を打ち出さないと続かないしお客さんに飽きられてしまう。
例えば現代の主催者が江戸時代の興行主が考えていたレベルまでコンセプトを考え抜いたとして、筆者が一言でまとめるのならば「大人が真剣にバカバカしいことをどこまでできるか、実行できるか?」となる。
現代の娯楽はそれこそ溢れすぎるくらい溢れている。マルシェに来てもらい楽しんでもらうことを一番に考えるとするなら、お客さんには何を魅せたいかを一考すべきで、アイディアを出せ!と言われたとてすぐに出せるものではない。
例えば来てもらいたいお客さんが小さな子どもを連れた家族連れだったとして、会場が結構な広さの公園だとする。筆者であれば徹底的に会場のリサーチを行った上で、安全を担保して、子ども対大人たちの鬼ごっこを企画する。エントリーフィーを500円として30分ほどのコマで開催し、しかも時間以内に参加した子どもを大人が捕まえ切らなければ集めたエントリーフィーをすべて子どもに渡るようにし、キッチンカーやブース会場で使えるようにしてもよし、お小遣いにしてもよしとする。
キッチンカーが並んでたりブースがあったりするのだから子どもはそこでお金を落とすだろうし、なにより自分で選んで買い物をするという体験にもなる。鬼ごっこが盛り上がれば盛り上がるほどキッチンカーやブースにお客さんが回るのだ。
また、小さく静かな公園であれば中心にテントを置いて、自由に読んでも良い本を集めておく。またモニターと任天堂スイッチでもおいて、桃鉄大会でもやれば良い。コスト的にそんなに掛かるものでもないし、見知らぬ誰かとゲームで遊ぶのは単純に楽しい。子どもはゲームに興じて、大人は本を読んで過ごしたら良いし、気に入れば購入すれば良い。
主催者側の発想次第で出店者や演者の満足度は上がるし、お客さんはまた来たいと思ってくれる。そこまで作り込めたら、主催者は勝なのだ。というよりそんなコンセプトのマルシェがあれば単純に楽しい。
つまるところ一人の主催者がどれだけ真剣に考えて、あえてバカバカしく理由をつけるかがマルシェイベントの成否を決める。人を集めるだけではダメという理由はここにある。
賑わいを作りたいのは行政の想いなだけであり主催者の目的にしてはいけない。行政が考えていることはやったことに意味を持たせたいだけなので、主催者がそれに巻き込まれてはいけない。
またそのマルシェに来たらQOLが上がると謳うコンセプトも弱い。人のQOLなんて千差万別なのだからこちらから提案するものではなし、そこにコンセプトを持たせるのは人のことをバカにしてるバカか余程アイディアがないかのどちらかだ。
実は筆者は犬山で結構大きなマルシェを企画したことがある。コンセプトはそのマルシェにきたら新しい発見があり、ほんの少しだけQOLが上がるかもしれないというコンセプトと続けることで認知を広くして、最終的に大きな会場で音楽フェスを開催することまでが目的だった。
が、これは失敗というか同じく主催したい人たちと仲違いして自分から離れさせてもらった。理由は自分自身の目的と同じく主催したい人たちの目的が全く違う方向性だったこと、義理も果たせないようなバカとはお付き合いしたくないといった筆者のわがままからだ。
今も続いているそのマルシェイベントは当初筆者が打ち出したコンセプトからかけ離れてしまっている。開催することが目的になってしまっているのでそれ以上がなくなった。当然、音楽を犬山にという目的も果たしていない。そこのお客さんの声を拾ったことはないが、外から見ていると主催者と出店者と演者だけが楽しんでいるだけに見える。お客さんは置いてけぼりなのだ。あのマルシェこそそれなりに人が関わっているのだからもう一度当初の目的に戻って頑張って欲しいな、とは思うがおもうだけである。
イベントが失敗する原因を書き残しておく
手段が目的になるとイベントは最悪なものになる。これは行政がよくやる町おこしやそのイベントに多く見られる。プロを入れないから駄作が続くのだ。なぜそうなるか?と問われると原因は数多くあるが、一番に共通しているのは隣の芝を見すぎてそのまま真似しようと頑張るからだ。
失敗例を見てみると、多くは他所で成功しているコンセプトだからここに持ってきても成功すると見込む。当然来客数も質も全く異なるので思ったようにお客さんから反応を得られない。結果イベントの規模自体萎んで、続かなくなってしまう。
他所を真似するなとは言わないが、良さを参考にだけしてオリジナルを作らない限り絶対に失敗する。
実はそこがわかってない主催者が多く、経験値ではなく他所を視察に行ったときに何も見ていないから起こる現象だ。
あとはセンスがないとマルシェはつまらないただの集まりになってしまう。資金が豊富にあるとか人材が揃っているとかは全く関係ない、必要な要素は主催者のセンス一つだけだ。
と書きたいことをつらつらと書いてきたが、なにかの参考になればよし。筆者が絶対ではないし、想いだけでも成功するかもね。でもコンセプトなんてバカバカしくシンプルでいいんだよ。
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