きれいな公園
昔よく遊んだ公園を見た。
昔は遊具が錆びつき、草もまばらに生えていて
とても居心地の良いところではなかったけど、
みんなが集まる場所として
活気のある、一つのアイデンティティだった。
10年ぶりか、
久しぶりに訪れたその公園は、
遊具も全て新しくなっていて、草木も整えられていた。
ただとても寂しい雰囲気を感じて、
じっと見つめて考えた。
同じ場所の変わる様にノスタルジーを感じたのか、またそこに偶然人が1人もいなかったのか、
いや、そこではない、
単純にきれいなまま整えられているものに
寂しさを感じたのだ。
それは少し寂しさとは違う、もっと直感的なものかもしれないけど、ただそう感じた。
なにもその公園だけではない、
受け皿が増えている。
社会も、健康も、歴史も、
それは切り捨てて単純な形に整えられていく。
それが常であり、とられるべき妥協案である。
そんなに物悲しさだけではないことも分かるが、
今はたまらないのである。
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