がらくた、しゃろん
米津玄師のがらくた
ひげだんのSharonを聴いた
がらくたのイントロの終わり、声の震えながらだすあの詞のまとまりかた、
その詞のままの感情を聴いたのち、すぐに自分の薄情な様を嘆いた
普段聴くような洋楽のリズミカルなもの、詞よりも音に乗せてみんなで分かち合う様、
そういうのを聴いてひさびさにこの詞に出会って、
自分の行く道の先を怪しく思った。
なんだか違うような気がする
割ともう頭の中では自分の未来の心の形は想像できてはいるんだけど、
やはり大したものではない。
内省の極まるところは、常に独りよがりの姿をしていて、深く構築する心の今まで見つからなかった、あるいは見て見ぬ振りをしていたものが形作られていくことはあれど、
やはり大したことではないと
そう思ってしまう。
ってもう遅いか。
Sharonに関しても同じようなこと。
サビのコードのまとめかた、
転調はもう最近の曲ぐちゃぐちゃでメロディに乗った追従する情動に骨組みだったはずのコードが路線変更して、ようわからんからもういいんだけど
シンプルなコードのあのメロディのまとめかたと、
なによりそのメロディの上向きに、愚直にのぼっていく不器用そうで心を心のまま掴んだ正確なメロディ、勝手に高揚感に乗せられるようなメロディ
これが僕にはできない
自分の今までたくさん作ってきた自分の中に眠っている詞メロはどれもこの形と似通ったものがひとつもない
純粋に僕は暗いんだ
そういうもの中にも美しいと思える、1人でしみじみと感ずるものがあると僕の中の僕もよく僕に言い聞かせてはいるけれど
やはり言い訳に近しいんだ
だからこのイヌトトの活動は
さっさと僕が僕自身を本当の意味で認めて、外界を巻き込む心の形づくりをしていかないといけないから、
曲としてではなく、さっさと詞メロのギターとボーカルの段階で出しちまおうって思った。ていうか決めた。
だから元々12曲くらいでこの活動は幕を閉じるつもりだったんだけど、さっきの外界を巻き込んだ心の形づくりを第2章として迎え入れて、
第1章の独りよがりの美しさを、まさに独りよがりの形のまま出していこうと思う。
いま7曲くらいはもう決まってるから、
今年中にはすべてを終えたい。
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