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関東の友人が「平成30年7月豪雨」をめちゃくちゃバカにしてきたのでギリギリ被災を免れたぼくが体験した半径88cmの世界を全力で説明する。

ぼくはなにもできなかった。ただの役立たずだった。何かをできると思っていた。だけどなにもできなかった。


本当はこんなことを書く気はなかった。


だけど多分書かないといけないと思った。それは「誰かのため」とかいう善意に満ち溢れたものなんかではなく「自分」がここに書くことによって救われたいと思ったから。


感情としては怒り、悲しみ、不安。もう最悪な気分。決して気持ちいいものでもないし一生ふさぎ込んでいたい。なにもしたくない。横になりたい。ずっと夜が明けなければいい。そう毎日思っている。まだ。


自分が直接被災したわけでもないのに。


これから書いていくことはほぼリアルな内容だけれど安心してほしい。本当にしんどかったことはまだ書く気にはなれない。まだなにも終わってないから。


被災地をバカにした友人はきっとこのnoteを見る事はないだろうし見せる気もない。友人はTwitterかInstagramをやっていると思うけれどぼくはフォローもしていなしされてもいない。


このnoteが友人まで「偶然」届くことによってぼくのこの気持ちが少しは晴れるかもしれない。届いたからと言ってぼくに謝ってほしいわけでもない。直接注意をする気すら失せた。ただ今後の言動に少しだけ思いやりをもってほしいと思う。


この記事がシェアされてあいつに「偶然」届きますように。






7月6日。まだこのときはちょっと「雨降りすぎだなー」くらいに思っていた。


地元のご当地ヒーロー「超兵士応神」はちょっと早めに注意を出してくれていた。(超兵士ってなんだ・・・)


382フォロワーしかいないからみんなもフォローしてあげてほしい。ちなみにこのツイートはぼくを含めてリツイート6件だけだ。


まだこの時点では誰もあんなことになるとは思っていなかっただろう。岡山県は「晴れの国」と言われるくらい雨の降る日数が少ない。


こんなに止まない雨など人生で初めての経験だった。


(訳:たしかに、ずっと晴れていると水は無くなるし困るのだけれど、こんなに降らなくてもいいのになぁ・・・)



この夜。近くで、遠くで。たくさんの命が失われた。


「まさかこんなことになるとは」


誰もが口を揃えて言った。まさか。



夜中にはTwitter上でたくさんの悲痛な叫びを見た。



避難を呼びかける町内放送を何度も聞いた。



ぼくの住んでいる家。働いている店は無事だった。



スタッフの住んでいる家と車は水の中に沈んだ。



トリミングサロンは4店舗、水の中に沈んだ。



ペットの被害状況はまったくわからない。



遠方に住む知人からの連絡もたくさんあった。



とりあえず全員に短文で送る



「ぼくはだいじょうぶですご心配ありがとうございます。」



ひと息ついて考える



「なにができるんだろう・・・」




できることはなにもない。



人命救助優先。素人にできることはなにもない。イヌのためにと被災地に入ることも迷惑となるためやってはいけない。



災害支援で一番やってはいけないこと。


「個々の単独での自己満足を優先させた支援。」


これが一番現場を混乱させる。同じようなことを個々がやることは手間と時間の無駄遣いであると共に情報の混乱を招く。立ち入り禁止区域に軽装備でイヌの捕獲に行くようなこともするべきではない。


できるだけ情報を一元管理できるように「日本ペットサロン協会」と連携をとる。


二日後。やっと動けるときがきた。もどかしく過ぎた時間。それを取り戻すかのように動く。



なんだかんだやったけどべつにそれを詳しく誇らしげに語りたいわけではない。なんだったら今でもやってるし半年後もやりつづけているだろう。このnoteは自分の「こんなにやりました」を語りたいものではない。被災地をバカにした友人にいつか届くように書いている。


7月11日。やっとそのときがきた。被災から5日後。


被災地に入った日。この日からぼくは毎日。毎日毎日毎日。あまり眠れない日が続いている。普通の道路が泥だらけ。浸水した家屋。店。車。


自分は大丈夫だった。でも現地に入って思う事はたくさんある。


二日かけて現場を把握するために行った地域は



岡山県「真備・矢掛」

広島県「尾道・三原」

愛媛県「大洲」



ここからは実際に被災した現場の写真も出てくるので被災者の方々にはなるべく見てほしくない。(あまりにひどい写真は掲載しておりませんのでご安心ください)



この記事は無料で出すと変な場所から石が飛んできそうなので半分以上を有料設定としました。意図を汲み取って頂けると幸いです。



個人的に外には出しづらい情報を月に2度はnoteにまとめていきたいと思います。月額マガジン申請中なのでしばしおまちを。(支援情報ではなくペットに有益な情報を少しずつや、ペット業界目線から小売りやECや接客について考えていることであまりオープンにできない事,、オープンに書けないプライベート的なことなど)



この記事は全部個人の意見とその目で見てきたもの。実際にあったことをぼくのフィルターを通して見て頂けると幸いです。半径88センチ。この手の届く距離で見てきたものを。


そしてこれをなるべく遠くまで飛ばして頂けると助かります。


Twitter、Instagram、Facebook、なんでもいい。被災地をバカにした友人の目にとまる場所まで。





7月11日、12日。


走った。泥だらけになった。全部の窓が泥で見えなくなった事もあった。


車にはスポーツドリンク、革手袋、厚手のゴム手袋、割り箸を大量に積んだ。その時に必要とされているものを。


ぼくの目的は「被災したペットサロンの目視と被害状況の把握」「避難所でペット関連で困ったことがないか」の確認。ぼくは現在トリマー(犬の美容師)として仕事をしている。お金はないけれど業界内ではそこそこの場所にいる。だからやらないといけないと思った。安易な正義感。



町が一つ水の中に沈んだ。


みんなもテレビでみたでしょ?ずっぽりと浸かった病院。


ぼくだって直接見るまでは甘く見てた。


備中呉妹駅(びっちゅうくれせえき)につく。



ホームはぎりぎり大丈夫そうだったけれど止めていたであろう車と待合室は全部水の中に沈んでいた。ホームに上がるまでの階段も。


車の持ち主は無事だったのだろうか。


泥にしがみつく自転車。


階段も全部。3メートルくらいはあるかな。ポリバケツに除草剤。




駅の待合室。



時計は3時50分で歩みを止めていた。




これは現実だ。はじめから心を折られかけた。これ以上何も見たくない。

湿った泥の中からは腐敗臭が漂う。じっとりと重い空気が全身にまとわりつく。「自分が被災しなくてよかった」と心から思った。決して口には出せないけど本当にそう思った。




ネズミ色だったはずの道路はぜんぶ土色に。




動けなくなったコンビニ。




乾くそばから舞い上がる砂塵。




仕事を投げ出した信号機。



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