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能力・環境・経歴の隔絶

今日は、学びではなく1つの感想のメモ書きとして。

本日、成人発達理論マスターコースの初回コンサルティングセッション(第1講みたいなもの)を終えました。

加藤さん鈴木さんの対談と、受講生各自が書籍や動画から得たものをベースにディスカッションし、両名にQ&A方式で取り上げてもらう形で進みました。
本当に短時間では伝えることが不可能に近い発達のエッセンスを散りばめながら、深い洞察へと導いて頂ける時間だったと思います。

内容に関してはまた別の記事にするとして、1点非常に強く感じたことがありました。
それは、やはり普段接しない人達のことをイメージし、対応するのは非常に難しいのだなということです。


加藤さん鈴木さんの両名は、非常に学びに真摯で、人生をかけて研鑽し続け、アカデミックな領域に触れてこられています。

鈴木さんは今は実務領域だと仰いますし、加藤さん講座等を通じて経営者などの実務的な支援を行うこともあられるかと思います。

ただ、やはりお二人は「ある程度高い能力を持ち、研鑽を経てきた人達」と共に時間を過ごされてきたでしょうし、そういった方々を対象に現在も関わりを持たれることが多いのではないかと想像します。(お二人自身がそうなのは言わずもがなです)

だからこそ、世界に存在する大半の人達の認識レベルや学習レベルを実体験として得る機会がそこまで多くないのではないかと感じました。
(あくまでも僕個人の感想です。繰り返しますが)

セッション内でも「まだまだ日本全体、世界全体が習慣的段階、オレンジ段階であり自己主導段階、自己著述段階を全然世界全体としてはクリアできていない」という話がありました。

全くもってその通りだと感じます。
だからこそ、まずは個の確立が重要であるというものも強く共感します。

であるならば、そういった人達と接することが圧倒的に多い僕達が、どう発達理論と関わり、どう学び、どうそれを使っていくのか、という観点での言葉がもう少しあってもよかったのではないかと感じました。

もちろん様々な学習レベル・受講動機の人が入り混じる中、さらに時間的な制限の中で全ての人に対応することは難しく、またすべきではないのかもしれません。
セッション中のコメントにも、感動に近い体験をされた方もいらっしゃいました。

ただ、受講中にもっとこういう伝え方も、こういう切り口も、こういう表現もあるのになと、何度か感じたのも事実です。
もしかすると、それはある意味アカデミックな研究者達に対して真摯ではなく歪んだ情報や認識を与えることになる、という見方もあると思います。

そこは本当に気を付けなければいけません。

が、エッセンスを可能な限り嚙み砕き、要点やズレてはいけない所は変えずに伝えることも必要なのではないでしょうか。


僕が以前学んでいたヒプノセラピーの先生は、アメリカ・イギリスで大学に通いプロライセンスを取得し、その他精神、身体の専門家から様々な理論や学びを得た人でした。

しかし、その人の講座ではほとんど専門用語や難しい理論は使わずに、可能な限り平易な言葉で多くの人に分かるように、エッセンスを伝えていました。(必要に応じて多少は説明していましたし、学びたい人には別途学習方法を伝えていました)

この方法、活動が正しいのか間違っているのかは、一概には言えないでしょうし、結局はその理論や活動を通じて世界に貢献するかどうかが重要かと思います。

恐らく、この連続記事に書いている様な内容でも、読むのが難しい人達が多くいると考えます。お二人の書籍からすれば随分と噛み砕かれているにもかかわらず。

そういった人達に発達理論を無理矢理教えたり、求めてないのに伝える必要は全く無いと思います。
しかし、今この瞬間にそれを必要としている人には、できればその人が受け取れる形で届けてあげたいと思うのです。

加藤さん、鈴木さんの様な高度な学びを継続している方々から、僕自身は真摯に、自分に批判的に学びながら、可能な限り、限界はあると分かりながら、必要とする方々に届けられるように世界と関わっていくことが自分の役割なのだと、改めて感じました。

追記
加藤さんや鈴木さんの書籍や資料の中には、もちろん非常に一般的で平易な表現として頂いている部分も多くあります。

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