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子育てと思い込みとエポケー

急に寒くなって、体調崩す人も多いですね。

自分や家族の体調が悪くなると、健康であり「普通に」暮らせることの有難さを感じます。

日常というものを、強く味わうのは決まって非日常のタイミングですね。

何のための発達理論

ここから本格的に発達理論を学んでいく中で、テクニカルな部分はもちろん大切ですが、まず何のために発達理論を学ぶのか、使うのかというのがより重要であると感じます。

改めて発達理論自体は素晴らしいものであり可能性を持っていると感じますが、それを一元的に振り回したり、思い込みや観念に囚われた状態で実践していくことは、大きなリスクと危険性を孕んでいます。

だからこそ、スタートの段階でしっかり自分を見つめて、対話しながら学んでいくことが重要だと感じます。

規範的

そもそも、我々は何か行動(思考を含む)する際に、必ず何かしらの「~すべき」という思い込みが影響を与える。

〇規範的(normative、ノーマティブ)
~すべきという思い込み。
判断・評価・行為などの基準となるべき原則。哲学的用語。

しかし、そのほとんどは我々にとって無意識的であり、自然な反応に近いものである。

その規範が絶対的に良い悪いというのは存在せず、人・場面・環境によって当然異なる。
しかし最も大切かつ問題なのは、自分がどういった規範性に動かされているか認識していないことにある。

だからこそ、それに自分自身が振り回され、他者に押し付け、知らず知らずのうちに自分も他人も傷だらけになることがあります。

子育てと規範

僕は日々2歳半の娘と関わる中で、自分の中にある数多の規範性よって発言していることに気付かされる。

着替え、お絵かき、お片付け、歯磨き、食事、公園での遊び。
つい口を出したくなったり、訂正したり、叱ったりしようとするが、それらのほとんどは僕が持つ規範性による押し付けであることに気付く。

もちろん、僕自身は「良かれと思って」「娘のためを思って」そうしようとしている。が、一歩立ち止まって冷静に考えてみれば、はたして本当にそうか?それは自分の思い込みや決めつけではないのか?という場面が多い。

お絵かきをしている時に、まっすぐ線を引いた方がいい。
積み木は、綺麗に並べて積めた方がいい。
お片付けは、早くきれいにできた方がいい。

その考えが良い悪いではなく、自分はどんな思い込み・基準を持っているのか?という観点で見つめる。
それが、自分の人生を、現実を1つ1つ把握していくアプローチになります。

エポケー

エポケーとは、古代哲学で、ものごとの真偽や善悪に関し、いっさいの判断を差し控えること。判断を中止し、何もせず立ち止まること。

僕たちは日々、無数の判断の中で生きています。
それら全てを意識的に行ってしまったのであれば、脳がパンクし、到底生きていけません。
(ドアを開ける時に右手で掴むか?左手で掴むか?といったことを全部意識的に行っていては、大変です)

しかし、大切なことは少し立ち止まって自分の中にある規範性と向き合い、気付くことも大切になります。

発達理論を学ぶ際も、自分が何故これを学びたいと思っているのか、どんな事に使えると思っているのか、どんな規範性をもって捉えているのか、といった事を考えることで、独善的な押し付けや一方的なアプローチから抜け出すことが出来るかもしれません。


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