語彙と発達と娘の成長
こんばんは。
皆さんは、普段本を読みますか?ラジオを聴きますか?動画を観ますか?
その中から、どれぐらいの語彙を得ているでしょうか?
語彙力
僕は小学生の所から一番好きなメディアがラジオでした。
MBSヤングタウン、オレたちやってま〜す、オールナイトニッポン、各種声優さんのラジオ。
オカンが流してた「上沼恵美子のこころ晴天」や「ありがとう浜村淳」もなんか好きでした。
ラジオというのは、声以外に一切の情報が無い為に、パーソナリティは非常にボキャブラリーを求められます。
テレビであれば、楽しさを表現するために表情や動きを見せることが出来ますが、ラジオにはそれがありません。
だからこそ、話し方や語彙で
結果、ラジオを聴いていた僕は非常に大衆的(一般の人に届きやすい)言葉のボキャブラリーが多くなりました。
言語
人間の発達と言語というのは、切っても切れない関係があります。
もちろん言語を媒介しない形での(非言語的な)発達という領域もあります。(スポーツの様な体を動かしたり)
ただ、発達の研究の多くが言語を媒介させているものであり、私達の発達は言葉(言語)の発達と足並みを揃えるとプラグマティズムの創始者でもあるチャールズ・サンダース・パースも言っています。
人間が思考する際に言語というのは必要不可欠であり、自らの意識や感覚を表現する際にも多くの場合に言語が用いられます。
だからこそ、内省的に自らを掘り下げると同時に、それを言語として表現することで、はじめて構造的に発達に向かっていくのだと僕も思います。
表現と細分化
例えば、僕の2歳の娘が保育園での出来事を語った時がありました。
「〇〇ちゃんがオモチャ取ってかなしかった」
どうやら、遊んでいる最中に友達にオモチャを取られたようです。
別の機会にも、こんなことを語ってきました。
「ママがお迎え来なくてかなしかった」
僕が保育園に迎えに行ったときに言われました。
(ちょっとかなしかった・・・)
また別の機会には
「バナナなくてかなしかった」
朝食に好物のバナナが出なかったとき言われました。
(みかんで我慢してもらいました)
さて、この「かなしかった」という言葉ですが、もちろん意味は分かります。なんとなく心情も分かります。
しかし、すべての「かなしい」が同じ意味、同じ感覚、同じ内容でしょうか?
恐らく違うであろうことは、僕達には分かります。
悔しさ、寂しさ、空腹、欠乏、悲哀、不安、挫折。
こういった感覚を、娘は全て「かなしい」という言葉で表現しています。
でも、実際はもっと掘り下げ、細分化し、語彙を獲得していく中で、これらは違う感覚であり、違う言葉が当てはまるということに気付きます。
そうすることで、より明確に、より鮮明に、自分を理解することができるようになっていきます。
向き合い、表現する
僕達大人も、意外と同じことが多いです。
嬉しい、楽しい、悲しい、辛い、怖い。
一括りにしているけれども、実際には全く違う情動に、同じ名前をつけてしまっている。
自分を、他人を、より深く理解していくためにも、内省的であると同時に、語彙を増やし、表現していくことも発達には欠かせない実践です。
皆さんも、是非日記でも、雑談でもいいので、意識してみてください。
思った以上に、自分のことを知れたりします。
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