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基準と押し付け

こんにちは。投稿も3日目です。

いつも思いますが、3日坊主って凄いですよね。3日もやってんから。
逆に、出家して3日で逃げ出すって、凄い決断力やけどね。
わざわざ出家したのに3日で「やめよ!!」って難しいよ。
本気でそう思ったなら、そういう判断もあるよね。


段階・種別・定義にするリスク

発達段階には、色々な区分けがあります。
・キーガンであれば「第1段階、第2段階、第3段階...」
・ウィルバーであれば「レッド、アンバー、オレンジ...」
・フィッシャーであれば「感覚運動的知性、表象的知性、抽象的知性...」
のような。
個々の段階の説明は省略しますが、いずれにしても発達はinclude(内包、含む)しながら段階を進んでいきます。

こういった定義付けは様々な価値を生み出しますが、同時にリスクも生み出します。
それは、各段階になる(いる)べきであるという思い込み・押し付けです。

しきい値(閾値)

身体的・精神的に関わらず、多く検査は「しきい値」というものがあります。
しきい値とは境界線となる値のことで、それを超えると(下回ると)通常と違う状態かもしれませんよーというものです。

例えば、尿酸値は、7.0mg/dLまでが基準値であり、それを超えると痛風になりやすかったり、動脈硬化になりやすかったりします。(この前知人が検査で引っかかってました)


基準を作ること

以前にADHDの簡易テストを受けた際に、高確率でADHDであるという結果が出ました。(専門医にかかった訳ではありません)
ADHDは25年程前に名前がつけられたものですが、それ以降新しい「病人」が生まれました。

病気・健康という概念(しきい値)が作られることで「病人」という定義がでてしまう。
基準を作ることで「そうでない人」が発生する。

もちろん、ADHDという定義が出来たことで、救われた人、幸せになった人が多くいることも間違いないでしょう。
自分の生き辛さを理解し、改善していく道標を見つけることは、大きな救いです。

ただ、苦しんでいない人や、その状態を受容している人に対して「それではダメだよ!あなたは病気なんだよ!!」と押し付け強要することは、少し別の課題があるのではないかと思います。


思い込みと押し付け

発達段階を扱う際にも、この押し付けの課題は気を付ける必要があります。

鈴木規夫さんの話に「ティールや発達を使ったパワハラが起きていた」というものがありましたが、ティールにならないと!第5段階に発達しないと!というのは、もう訳が分かりません。
でも、現実に起きやすいことなのでしょう。自分にも他人にも。

社長だから、営業だから、男性・女性、親だから、こうでならなければならないという思い込み。

こういった理論や定義は、あくまでツール。
それを、どういう文脈・文化・背景で「みんなが幸せになれること」に使っていくのかが大切であると改めて思います。

発達理論が、多くの人を苦から解放するものとなればいいなと、僕は思います。

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